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第245回 謹賀新年| 塾長雑感

沖縄で行われている、民意を無視した権力行使は自公政権の姿勢そのものを表しています。政府が少数者に生命・健康等の人格権の犠牲を強いておいて金銭で穴埋めをしようとする姿勢は原発再稼働と同様の構造です。憲法29条3項財産権についてのみ経済的補償を条件にその剥奪を許していますが、正当な補償さえすれば人格権をも制約できるとはしていません。また憲法95条は特定の地域のみに負担を強いるような法律は地域住民の賛成がなければ制定できないとしており、たとえ国民の多数が支持する国策であったとしても、利害関係ある住民の反対を無視して過大な負担を地域に押しつけることはできないはずです。


憲法13条は個人の私的領域に関わることは自分で決めるという自己決定権を保障しています。それは自分たちの生活地域のことは自分たちで決めるという住民自治を要請します。地域のことは自分たち住民が決める、そしてこの国の権力のあり方はこの国で生活する一人一人が決める。これが民主主義です。残念ながらこの民主主義が、憲法13条の要請するように機能しているとはいえません。先の翁長氏の発言はそれをすべての国民に自分たちの問題として考えてほしいと呼びかけています。他人事ではなく自分事として受けとめる想像力を私たちが持っているかを厳しく問いかけているのです。


そして、司法に日本の未来を切り開く判断を求めています。残念ながら現在の司法もその職責を十分に果たしているとはいえません。砂川事件最高裁判決によって事実上安保条約は合憲とされてしまい、それに基づく地位協定、各種特別法という安保法体系が日本国憲法の外にできあがってしまいました。その結果、人権と平和を最優先する憲法体系を擁護すべき司法権が、米軍優先の価値基準に対して何も言えない、実質的な治外法権、対米軍事従属国家となってしまっています。沖縄に限らず全国の基地周辺の住民の平和的生存権、人格権が侵害されているにもかかわらず、司法がその救済の役割を放棄し、多数者支配の政治部門に追従してしまう。この構造は選択的夫婦別姓を認めない現行民法の適否を国会の議論に委ねてしまおうとする司法の態度と共通するものがあります。