「中国の人は古典文学という言い方はしません。杜甫でも李白でも、昨日の人のように思っている。また、文学や芸術は万人のものであって、あまり難解な表現をするのは大文学者ではないという伝統がある。杜甫の表現などもわかりゃすく、そのわかりやすい表現のなかで、みんな見ているのに気づかない+
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2016, 1月 25
+ことを発見する。人びとの見落としていることを発見するのが、文学者の任務だとすれば、それをよく果たしているのが杜甫だと思う…」(吉川幸次郎『中国文学と杜甫』)これ、いまもやはりそうなのかしら。中国の留学生に聞くと謙遜するが、やはり古典はよく読誦しているように思った。
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2016, 1月 25
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151118#1447842986
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