暇のなき人も思ひの外暇多き人よりも功をなすもの也。されば、才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて止むることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば出来るものと心得べし。すべて思ひくづをるるは、学問に大きにきらふ事ぞかし。
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2016, 2月 14
「思ひくづをる」という言葉をこの宣長『初山踏』から学んだ。「くづをる」は「崩おれる」と書くのだろうか。才能の有無、晩学、暇のなさなどいろいろ「学ぶ事」を阻む要因はあろうとも、かつて抱いた志のかたちを「崩し」てしまってはならない。どうにか「つとめ」ていれば「出来るものと心得」よ。
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2016, 2月 14
「くづをれ」そうになることは、われわれにはある。しかし「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」。「ようするに、学問は、ただ年月長く倦まず怠らず、励みつとめることが肝要なのだ」(白石良夫の口語訳)とも思う。宣長のこの言葉使いはもの柔らかでよい。
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2016, 2月 14
今日は一日『百科全書』と『王立科学アカデミー提要と論集』およびその『索引』や同時代の医書などを行きつ戻りつして目録を作成していた。愚かしいことであるが、この作業を「目録学」と東洋学で呼び、巨大な分厚い学問の伝統があるということを知ったのは最近である。
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2016, 2月 14
「この時になってはっきりと知った。学問は繁雑のなかから求められた簡単であってこそ真実の綱領である、もしおびただしい繁雑な材料を根底にしていないならば、定立した簡単な綱領は結局において信頼できないものであることを」(『ある歴史家の生い立ち』)
— Hemmi Tatsuo (@camomille0206) 2016, 2月 14
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160212#1455273303
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160211#1455187101
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