ヤマザキマリの地球のどこかでハッスル日記:
— ヤマザキマリ Mari Yamazaki (@Thermari) 2016, 2月 16
第67回 映画版『スティーブ・ジョブズ』孤独な男の強靭さと頼りなく脆い繊細さhttps://t.co/TdFvM6azBS
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世の中には孤独と上手に付き合って生きていける人がたまにいます。そういう人というのは、社会の求める同調性に背き続け、周りから嫌われながらも、最低な奴と思われつつも、その徹底した独立の姿勢を貫くが故に、他の人間には叶わない傑出した考えや作品を生み出す能力を発揮することもあるようです。
私が『テルマエ・ロマエ』の中に登場させた古代ローマの皇帝ハドリアヌスも孤高の人でした。属州を広げるための戦を望まない彼の独特な統治姿勢は元老院からは反発をかうばかりですし、彼自身も人々に対しては猜疑心の塊でその心を容易に開くことはありませんでしたが、抜きん出た美的意識と知性を発揮し、建築家としてパンテオンのような20世紀近くを経ても現存し続ける建造物を作るという偉業を成し遂げています。
レオナルド・ダ・ヴィンチは当時フィレンツェなどで活躍していた同業者の絵師やその他の文化人とは決して群れる事がなく、孤立しつつも、神業的な画力と独特の精神性で誰にも真似のできない作品を生み、ひねくれた性格であっても常に彼の才能を庇護するパトロンに恵まれ続けたひとりでした。
観る人によっては多様な魅力を持った作品ではあると思いますが、スティーブ・ジョブズという難しい人物像を、結局は愛すべく、愛されるべく存在としてアプローチする作品に仕立て上げたボイル監督は、なんて懐が広くて暖かい人なのだろうと、感心することひとしきりでした。
伝記や映像や漫画で表現せずにはいられない、強烈な人間スティーブ・ジョブズ。この人はきっとその存在そのものが、自分たちにとって都合の悪い人間との共存を疎外したり拒絶しようとする現代社会へのメッセージなのかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160215#1455532693
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160215#1455532699
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160212#1455273307
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