https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

彩佳・古舘・草太
小川彩佳1
小川彩佳2
林美沙希
青山・古舘


広瀬久忠 - Wikipedia
高柳賢三 - Wikipedia
幣原喜重郎 - Wikipedia

GHQマッカーサーと1946年1月24日に会談。この日のマッカーサーとの会談で平和主義を提案する。天皇制の護持と戦争放棄の考えを幣原の側からマッカーサーに述べたとされる。その前の12月、幣原は風邪で倒れ、病床で「つくづく考えた」のであった。幣原の憲法草案が保守的でGHQから拒否されたというのは、誤解であり、GHQから拒否されたのは、幣原・マッカーサー会談の後に出来た国務大臣松本蒸治を長とする憲法問題調査会(松本委員会)がまとめた「松本案」である。順番からいえば、憲法制定過程は、幣原・マッカーサー会談(これで大筋合意。しかも、幣原から平和主義を提案。幣原は自分で「病床でつくづく考えた」のであり、マッカーサーからの圧力はなかったと思われる)→松本案が完成(松本案自体は45年10月から作り始めていた)→松本案がマッカーサーによって拒否される(46年2月1日頃。『毎日新聞』のスクープでGHQは内容を知る)→マッカーサー3原則(46年2月3日)→GHQの民生局が草案を作成(8日間で草案を作成)→マッカーサー草案ができて(2月13日、松本国務相と吉田外相は「松本案」の返事を聞きに行ったが、逆にマッカーサーから草案を渡される)閣議が大荒れ(2月19日)→幣原はマッカーサー案を原案として採用し修正することを決める(同日)→幣原・マッカーサー会談2回目(21日)→修正を求めることを幣原が閣議でいう(22日)→閣議も了解(2月22日)→昭和天皇も幣原総理を激励という順である。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160225#1456396553
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160225#1456396554