日本人ははっきり言って物事を深く考えるのが得意ではない。欧米の学生がするような冗談交じりのディベートや批評などをする機会が、子どものころから日本にはないからだ。日本人は親切ないい人たちだが、彼らがもしグーグルの面接試験を受けるとすれば、あまり合格できるとは思わない。なぜ日本人はこうなってしまうのか?それは、教育制度に原因がある。
日本人は子どものころから受験戦争。高校ではただ授業に出席して、先生の話を聞き、ノートをとるだけだ。欧米の大学では入学が簡単で、卒業が難しいが、日本はその逆。大学に入学さえすれば、そこで教育は終了。大学の4年間は、たがをはずして遊びまくる2年と就職活動の2年で構成されている。意見や考え方を交換するような機会はなく、敷かれたレールの上だけを走ってきた人間は「自分の考えを構築できる力」が17歳のままでストップしてしまう。
だから、日本人の友達とはスポーツや食べ物、買い物の話をするのは簡単だが、アイデアを共有したり議論ができる相手を見つけるのは大変だ。人は何のために生きるのか?、私たち人間は宇宙の中のランダムなホコリに過ぎない存在なのか?、ウェイトレスの電話番号をゲットするにはどうしたらいいか?…こんな話は日本人とはできない。
こういう深い話をできる相手を見つけるのは、どこの国でも難しいけど、やっぱり日本では特に難しいと思う。
日本のテレビカメラマンは、外国人に見える人に街頭インタビューをする。「日本の○○ってどう思いますか?」という質問をしてまわるのだ。こういった番組を見た日本人は「外国人は私たち日本人とはいかに違うのか」を学ぶ。最近はさらに、東京オリンピックに向けた外国人への“おもてなし”への意気込みのおかげで、ますますやりにくくなった。先日京都駅で、おじいさんに「日本へようこそ!」と叫ばれたときは、ビックリしてどう反応していいのかわからなかったよ。
見た目の違いに関わらず、どんな人でも“公平に扱う”というコンセプトは日本には全く通用しない。「見た目の違いがあっても公平に」というのは、外国のアイデアでしかないのだ。
それでも、日本には「外国人と友達なりたい人」がたくさんいる。外国人だったら誰でもいいから、友達になりたいのだ。彼らは外国人の箸使いに驚き、「わぉ!日本語うまいね」と褒める。
「えぇ?お寿司好きなの?」、「へぇ〜、焼酎飲めるの?」、「わぁ!今度私たちの英語教室でお花見があるんだけど、あなたも良かったら来ない?みんな本物の外人に会いたいと思うの。」、「あなたの国のことを聞かせて。」、「日本で一番驚いたことは何?」、「日本の家って小さくない?」、「日本のトイレって変でしょう?」、「フェイスブックの友達になろうよ」…
今田さん夫婦とタヌキと駅で別れた後、何となく真っ直ぐ家に帰る気持ちになれず、コンビニでまたビールを買って飲みながら、公園のシーソーにまたがった。東京の空を見上げて、神様に聞いてみた。
「神様、本当にそこにいるの?人間は宇宙の中のランダムなホコリのようなものなのかな…。」
すると、神様が僕に答えてくれるかのように、今田さんからメールが来た。
「今夜は楽しかったよ。ありがとう。明日ハイキングに行かない?7時に迎えに行くよ。」
本当に彼はいい奴だ。知的な会話や深い話はできないけど、彼は英語で話そうと無理強いはしてこないし、僕が白人だってことを強調したりはしない。それに、お互いビールが好きだ。