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「私はお金が欲しい。なぜなら…」。稲盛和夫が本田宗一郎から学んだこと 1990年2月19日、盛和塾神戸塾長例会講話抜粋|稲盛和夫経営講演選集(公開版) 「経営の父」が40年前に語っていたこと|ダイヤモンド・オンライン

 会社をつくって2年目あたりから、だんだん経営というものを難しいと思うようになりました。私は、経営の何たるかを知らないものですから、経営とはいったいどのようなものなのだろうか、経営者とはどんな人であるべきなのだろうか、と悩みました。

セミナーが始まり、本田さんは登場されるやいなや、われわれをこっぴどく叱りました。


「皆さんは何をしているのか! 温泉に入って浴衣を着て、そして経営を学ぼうとは、あまりにも悠長です。私は経営を学ぶために、こんなことをしたことはありません。そんなお金を使っている暇があるなら、早く会社に帰って自分の仕事を一生懸命しなさい。そのほうが経営の勉強になります」とおっしゃるのです。

「私はお金が欲しい、何でお金が欲しいのかというと遊びたいからだ」ということまで社員の前で公言しておられるとのことでした。


 本田さんは、浜松の芸者を総揚げして派手に遊ぶこともあったと聞きます。若い頃、生意気な若い芸者を二階から突き落としたという逸話があるくらいです。芸者を総揚げしてどんちゃん騒ぎをするという、並の人にはできない遊びをして発散をする。そしてまた人一倍がんばって働く。そのためにはお金が要る。私と同じようになりたかったら、同じように苦労しがんばってみなさい、という話をしておられるように、自分自身をそうしてモチベーションアップされていたのです。


 たいへん男らしい考えだと思い、私は刺激を受けました。確かに西枝さんから教えてもらった、「人間としていかにあるべきか」ということをベースにした生き方もあります。しかし世間を見ていると、あまり人が良いものですから会社が大きくならない、というケースがあります。本田さんのようにえげつないほうが、会社も大きくなるのかなと、そのとき思ったのです。

 私が始めたこの盛和塾でも、私の話に感銘を受けて発奮する人もありましょう。また中には、「京セラの会長というのは大したことないじゃないか」と思う人もいるでしょう。それで良いのです。そのように皆さんが発奮され、がんばって経営されることが、経営者としての学びになるはずです。


 ですから、私がじかに皆さんとお目に掛かることによって、いろいろな形で学んでいただければ、例えば「あの稲盛さんにあのくらいの仕事ができるのなら、おれはもっと努力をし、もっと勉強をし、もっと偉くなってみたい。いや、なってみせよう!」と思ってもらえれば、私がこの会をつくった意図はかなうわけです。このように私と会うことによって、皆さんには、私を超えるようなすばらしい経営者になってほしい、というのがこの会を始めた動機です。

話は戻りますが、本田さんが言う「欲と二人連れ」というのは本当に正しいのか、少し疑問にも思いました。「欲と二人連れ」でダイナミックに経営をすると、たいへんうまくいくように見えるけれども、それは一時的なものでしかなく、どこかでうまくいかなくなるのではないかと思っていました。しかしその後に、はっと目が覚める出来事がありました。

「それでは、あなたはどういう哲学をもっているのですか」と言われたので、西枝さんから教わった、人間性こそが最も大事だという話を若干しましたら、「あなたは老人みたいなことを言うのですね。まだ三〇代前半とお若いのだから、そんなことを言ってはいけませんよ。私も今は年をとったからそういう話もわかりますが、若い頃はもっと泥臭い人間でした。あの有名な松下幸之助さんも、若い頃はもっとぎらぎらと脂ぎった人でしたよ」と、言われたのです。

「人格者で知られる、あの松下幸之助も若い頃はやんちゃだったのだな。お年を召されてから老成されたのだ」と思ったのです。松下幸之助さんの心や人間性が円熟されるにしたがって、松下電器もああいう大企業になっていった。もし、ぎらぎらと脂ぎったままであったら、松下電器も一介の中小、中堅の家電屋で終わっただろう。その頭取の話を聞いて、そう思いました。

 本田さんも同様です。セミナーでお目に掛かって約二〇年後、再びお会いしました。

 本田さんは、藤沢武夫さんという副社長とコンビを組み、本田さんが技術を、藤沢さんが経理、総務関係を担当されました。一般には、このコンビが今日の本田技研をつくったといわれていますけれども、それだけではないと思います。本田さんは、確かに若いときは脂ぎってぎらぎらして「欲と二人連れ」でやってこられましたが、年を召されるにつれて分別がつき、人間のあるべき姿というものを理解され、人間性がどんどん円熟していかれた。その人間性の高まりと、二輪車から四輪車へ、軽自動車から普通乗用車へと続いていく本田技研の躍進は、一致しているのです。

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