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セブン&アイ鈴木会長が退任発表 | NHKニュース

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木会長兼最高経営責任者は、7日に都内で記者会見し、「セブンーイレブンが最高益を続けているなか、逃げでなく、このときにこそみんなに考えてもらえたらというつもりで、今回、引退を決意した」と述べ、経営の一線から退くことを明らかにしました。
また、鈴木会長は7日開いた取締役会で、子会社のコンビニ最大手、セブンーイレブン・ジャパンの社長交代の人事案が否決された責任も考慮したことを明らかにしました。

今回の人事案は、7日の取締役会に先立って、セブン&アイ・ホールディングスの指名・報酬委員会で議論が交わされてきました。この委員会は、グループ全体を統括する持ち株会社セブン&アイの役員などの候補者のほか、セブンーイレブン・ジャパンなど、主な子会社6社の代表取締役の候補者の選任案について妥当性を審議し、セブン&アイの取締役会に意見を示す役割を担っています。
委員会で議決権を持つメンバーは4人で、社内からは鈴木敏文会長と村田紀敏社長の2人、社外取締役からは一橋大学大学院商学研究科特任教授の伊藤邦雄氏と、元警視総監の米村敏朗氏の2人と、社内と社外、半数ずつで構成されています。関係者によりますと、セブン−イレブン・ジャパンの社長を交代する今回の人事案には、社外取締役の2人が反対し、意見が割れたまま、7日の取締役会に諮られたということです。

鈴木敏文 - Wikipedia

長野県埴科郡坂城町大地主の家に生まれる。旧制上田中学校(現:長野県上田高等学校)受験に失敗し、小県蚕業高等学校を経て中央大学法学部入学。経済学部へ転部して卒業する。また大学在学中には学生自治会書記長を務めた。


卒業後はジャーナリストを志望し新聞社を受験するが、筆記は通るものの、あがり症が災いし面接で失敗。不採用となった。そこで書籍取次の東京出版販売株式会社へ入社。出版科学研究所や広報部に所属しながら、従来無料配布の「新刊ニュース」に読み物を加えて有料誌化して発行部数を5千部から13万部に増やす。出版関連の職務から大宅壮一やその門下生らと交友関係を持ち、テレビ局設立を試みて多数の企業へ出資依頼する中、偶然通り掛かりのイトーヨーカ堂が「それならうちの会社でやりましょう」と応対し、仲間の反対を押し切るなか鈴木敏文だけが入社する。


30歳時に当時5店舗だった株式会社イトーヨーカ堂へ入社して創業者・伊藤雅俊の懐刀として勤務する。39歳時にアメリカ合衆国で広まりつつあったコンビニエンスストア事業を知り、1973年に新聞広告などで募集した15名の素人集団で株式会社ヨークセブンを設立する。米国サウスランドコーポレーションからフランチャイズを得て経営手法の指導を受け、翌年5月に1号店を江東区に開店する。自らの経営手腕と消費動向を読む技術によりセブン-イレブン急成長させたほか、伊藤と共にヨーカ堂グループを国内最大の小売りグループに育てた。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160327#1459075069