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なぜ、企業の不祥事はなくならないのか? 2002年10月18日、ケース・ウエスタン・リザーブ大学講演|稲盛和夫経営講演選集(公開版) 「経営の父」が40年前に語っていたこと|ダイヤモンド・オンライン

 経営者が企業のリーダーとして、すばらしい才能をもち、多大な貢献をはたしているならば、その働きにふさわしい処遇を与え、さらに力を発揮してもらう。そのようにして企業の業績を伸ばしてもらうことは、従業員にとっても、株主にとっても、さらには社会にとっても良いことです。


私も、経営者が業績に応じて報酬を受け取る、いわゆるインセンティブの必要性を、全面的に否定するものではありません。しかしそれがあまりに高額であれば、問題となると考えています。


 まず経営者と従業員の収入格差の問題があります。この二〇年で、米国の最高経営責任者(CEO)の報酬は四〇倍以上に増えたものの、一般労働者の報酬は二倍止まりだという報道もあります。そのように収入格差があまりに拡大することは、企業内のモラルを維持するにあたって大きな障害になります。


 次に、あまりに高額の報酬やストックオプションは、経営者自身の精神を堕落させてしまうという問題もあります。莫大な報酬やストックオプションの権利が与えられると、たとえ立派な人格をもつ経営者であったとしても、いつのまにか自分の利益を最大化することのほうに関心が向くようになってしまうことでしょう。そして、会社や従業員のことよりも、株価をいかに高く維持し、自分の利益を増やすかということに、腐心するようになってしまうのです。

 しかし私は、先進諸国の経済社会が現在直面する、企業の統治の危機を未然に防ぐには、経営システムや経営者の処遇の問題だけではなく、経営者の資質という根本的な問題についても、改めて考えるべきだと思うのです。


 およそ一三〇年前、西郷隆盛という傑出したリーダーが、明治維新という革命を成し遂げ、日本に近代国家への道を切り開きました。西郷は私心のない清廉潔白なリーダーとして、今も多くの日本人の敬愛を集めていますが、リーダーの選任にあたって、最も大切なことは次のようなことだと述べています。


「徳の高い者には高い位を、功績の多い者には報奨を」


 つまり、高い地位に昇格させるのは、あくまでも「人格」を伴った者であり、すばらしい業績を上げた者の労苦には、金銭などで報いるべきだ、と言うのです。


 現在の企業では、そのリーダーである経営者の選任にあたって、「徳」つまり「人格」はあまり顧みられず、その能力や功績だけをもってCEOなどの幹部が任命されています。さらには先に述べたように、高額の報酬がインセンティブとして与えられています。つまり、「人格者」よりも、功績に直結する「才覚」の持ち主のほうが、リーダーにふさわしいと、ビジネス界では考えられているのです。


 しかし本来、多くの人々を率いるリーダーとは、報酬のためではなく、集団のためという使命感をもって、自己犠牲を払うことも厭わない高潔な「人格」をもっていなければならないはずです。事業が成功し、地位と名声、財産をかちえたとしても、それが集団にとって善きことかどうかをよく考え、自分の欲望を抑制できるような強い「克己心」や、その成果を社会に還元することに心からの喜びを覚える「利他の心」を備えた、すばらしい「人格者」でなければならないのです。


資本主義社会の黎明期は、まさにそのような考え方が広く共有されていました。皆さんもご存じのとおり、資本主義はキリスト教の社会、特に倫理的な教えに厳しい、プロテスタントの社会から生まれています。初期の資本主義の担い手は、敬虔なプロテスタントの人々でした。著名なドイツの社会科学者であるマックス・ウェーバーによれば、彼らはキリストの教える隣人愛を貫くために、労働を尊び、生活は質素にして、産業活動で得た利益は、社会のために生かすことをモットーとしていました。


 そのため、企業のリーダーである経営者は、公明正大な方法で利益を追求し、あくまでも社会の発展に役立つことが求められていました。つまり「世のため人のため」ということが、初期資本主義を担った、彼らプロテスタントの倫理規範であり、その高い倫理観故に、資本主義経済が急速に発展したと言えるのです。

南洲翁遺訓 - Wikipedia

廟堂(びようどう)に立ちて大政(たいせい)を為すは天道を行ふものなれば、些(ちつ)とも私を挟(はさ)みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を蹈(ふ)み、広く賢人を選挙し、能(よ)く其の職に任(た)ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫(そ)れ故(ゆえ)真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶(かな)はぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛(めで)し置くものぞと申さるるに付、然らば『尚書』仲虺(ちゆうき)之誥(こう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対するは此の義にて候ひしやと請問(せいもん)せしに、翁欣然(きんぜん)として、其の通りぞと申されき。

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