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LINE元CEO森川亮氏が「成功」を捨て去れるわけ|松田公太情熱対談 革命はアウトサイダーが起こす|ダイヤモンド・オンライン

松田 情報の専攻だけに、そうなりますよね。でも、日テレなんてお給料もサラリーマンではトップクラス。そのまま最後まで勤め上げる人が普通でしょう。なんでまた、ソニーに行くという思い切った行動をされたんですか。


森川 新規事業の担当だったのですが、テレビ局は、番組を作るのが好きなクリエイター集団であるものの、新しい挑戦をすることに積極的ではなかった。もう一つは時代背景。当時(2000年)、デジタル革命が起き、インターネットや衛星放送が台頭してきて、伸びない会社にいるよりも、伸びる領域を自分で作りたいと思ったんです。

森川 このままテレビ局にいたら自分がやりたいことをやるのに時間がかかると思ったんです。当時、転職会社の「年俸査定」を試してみたら、自分の“市場価格”は当時の給料の6掛けしかないのがショックでした。「査定して高くなるくらいの人間になりたい」と思ったんです。テレビ局にいると、チヤホヤされて、お金を実力以上にもらうのが不安だったんです。


松田 私も全く同感です。銀行員時代、20代の私が飛び込みで営業に行っても中小企業なら名刺一つで、修羅場をくぐりぬけてきた社長さんが若造に会ってくださる。でも勘違いはしたくはなかった。銀行の看板が無くなった時、自分の能力がどこまで通用するか、すごく追求したかったので、共感します。

森川 ソニーでは、テレビやオーディオをネットにつなげる部門で戦略を担当していました。事業計画を毎日作って60日続けたのに一つも通らない。社内の知り合いにソニー社内でどうしたら提案が通りやすいか聞いたら「新しいことをやると出世できないからダメなんだよ」と言われてしまって。


松田 ソニーでもですか?なんか後年に不振に陥った理由がわかる気がします。


森川 上司に「あなたはリーダー失格だ」とケンカをしちゃって。ちょうど、他の部署で新規事業をやる話があったので、そこに勝手に移って仕事を始めちゃったんです。名刺も勝手に作って(笑)。そこの事業がジョイントベンチャーになり、3年ほどしてうまく行ったんですが、今度はまたダメなオジさんたちが出向してきちゃった。


松田 それはまた面倒でしたね(苦笑)。それでベンチャーハンゲーム・ジャパンに移籍されたんですか。


森川 大企業で新しいことをやるためにはどうすればいいか、たどり着いた結論は「ダメなオジさんの近くにはいかない」。ベンチャーならダメなオジさんはいないですしね(笑)。純粋にデジタルコンテンツのネットワーク化という新しい領域に挑戦してみたかったんです。

森川 やりたいことだけをやっていたわけじゃありませんが、邪魔をする人が多いことに納得感がなかったんです。会社の大きい小さいは関係なくて、邪魔する人がいない方が、どんなに辛くても耐えられるかと思ったんです。

森川 結局会社とか事業はハコですから、一番大事なのは人間性。でも、ハコに慣れちゃうと、人間は余裕や隙ができる。人間は無人島に行っても生きられるくらいの競争力を持たないといけないし、そういう厳しい環境に定期的に身を置いておかないと水ぶくれしてしまう気がする。

森川 僕は国の未来を作るのは政治家と先生だと考えています。でも、日本はその2つの仕事になりたい人がどんどん減っています。給料が少ないとか、世間で叩かれるとかもあるのでしょうが、そこに優秀な人が行かない限り、日本の未来は暗い。しかし、話のつまらない先生も多い(苦笑)。誰が教えるかはすごく重要で、やっぱり「こんな人になりたい」と思うような人に教わらないと、子どもたちは目が輝かない。

森川 ロールモデルに加えて、能力に応じた教育・人材育成も大切ですよ。日本は、できる子はどんどん突っ走らせ、できない子は優しく面倒を見て育てるような考え方がもっとあっていい。小学校だと、嫉妬があったり、「ダメな子に合わせましょう」となったりして空気を読みながらになりがちではないでしょうか。

松田 国の未来と教育という観点だと、ピケティの考え方が参考になります。ピケティは、資本に課税し、教育に投資することが公平な社会を作るうえで重要だと言っていますが、私もそれに賛成です。ただ、彼の主張する累進資本課税は慎重な検討が必要ですので、まずは相続税を上げ、そこで集めたお金を教育に回し、「平等な競争環境」をつくり出すのが現実的ではないでしょうか。私は特に幼児から小学生までの教育が重要だと思っています。小学校を卒業するまでについた差は、後で挽回するのが難しい。だからこそ教育制度を取り入れた保育園や幼稚園を無償化をする。そのようにしてみんなが平等に競争できる環境をつくっていきたいのです。