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『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーが気づいたこと:欲望が飽和した新しい世界の到来|日本人が知らない本当の世界経済の授業|ダイヤモンド・オンライン

「さて、ここまでの話を整理しましょう。いずれ、人類史上初めて本格的に人口が減り始めていくであろうこと、デジタル革命が社会の構造自体を根本から変えつつあることを見ました。では、次に別の角度から《新しい時代》が来ていることを見ていきましょう」

「教授、いいですか?」


「はい、なんですか?」


「『セックス・アンド・ザ・シティ』を観ましたけれど、教授はこんなガールズ・トークのドラマ観て引かないですか?」


「大丈夫ですよ。残念ながらそこが今回のポイントではありませんし」
教授は苦笑いしながら言った。

「そうですね。モノを所有するというのは、意外にやっかいなものなのです。私も昨年、引っ越しをしたのですが、同じところに住んでいると意外にモノが溜まっていくもので、バブル時代に買って以来、結局1回しか使わなかったキャンプ用品とかスキー用品とか、どうしたものか悩みました。もしかしたら、また使うかもしれないけれど、収納するスペースのムダを考えて結局、処分することにしました」


「それ、すごくわかります。断捨離ってやつですね」


「ずいぶん難しい言葉を知ってますね。そのとおりです。ところで話を戻しますが、『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリーとセントルイスから来た無職の女の子の話は、これまでの時代の消費と、これからの《新しい時代》の消費を象徴する話なのです。これを理解するために、次に課題にしていた『シェア 〈共有〉からビジネスを生みだす新戦略』という本を見ていきましょう。読んできましたか?」

 それはともかくとして、家電がコモディティ化して、みんなが普通に冷蔵庫やテレビを持てるようになって、需要が埋め尽くされてしまうなんてことは、さすがの松下氏も想像しなかったことでしょう。そして、松下氏が理想にしたように、みんなが家電を持つことになって便利な世界が来たのに、極楽浄土になるどころか逆に《漠然とした不安》が覆うような世界になっちゃうし、創業した会社も経営危機に何度か襲われるなんて、松下幸之助氏は天国で今どんなことを考えておられるでしょうか」

「さて、ちょっと経済学の話をしましょう。経済学は人が利益や欲望を求めて合理的に行動することを前提にしています。よって人がモノを欲しがることが大前提です。


 ですから、古典派経済学のセイの法則は、“供給はそれ自身の需要を創造する”と言っています。カンタンに言えば、モノをつくって供給すれば、人々はモノを欲しがるので必ず需要が発生するという考えです。もし、たくさんつくりすぎて余ったとしても、値段を下げれば人々はモノを買い求めるので問題ないという話です。


 なぜ、このような考えが生まれたのかと言えば、古典派経済学が生まれたころのヨーロッパはまだ貧しくモノをつくる能力にも限界があったため、モノをつくれば必ずだれか欲しい人が出てくるのが当たり前だったからです。モノがあればあるだけ幸せになれるというのが経済学の大前提だったというわけです」

絵玲奈は、一般教養でとった経済学の授業で学んだセイの法則の背景がわかって目からうろこが落ちた。

「現在では、この議論は半ば常識化していて、人口構成のうち子どもや老人が少なく、生産年齢人口が多い状態を人口ボーナスといって、高い経済成長が可能だと考えられています。実際に、日本が人口ボーナスのピークを迎えたのが1990年代の半ばで、アメリカが2000年代の半ばです。生産年齢人口がピークを迎える前後にバブルと呼ばれるような好況が発生していることが観察されています。


 人口ボーナスの逆は人口オーナスといいます。老人が増えて子供が減り、働く人の割合が減ってしまう現象ですが、じつは、日本だけでなく先進国の多くがすでにこの『人口オーナス期』に入りつつあります。消費をしておカネを使う、つまり“需要”を生む世代が減って、おカネを使わないで老後に向けて貯蓄する世代が増えるというふうに、人口動態が経済にとってマイナスになる時代に先進国は入ってきているのです。


 おカネを使う人が減ってくるだけではありません。アダム・スミスの時代からは考えられないぐらい寿命が延びたことで、退職してから20年以上も貯蓄で生活するようになったので、現役時代におカネを使わないで貯蓄に回そうとする傾向にものすごい拍車がかかって、これがさらに歪みを生んでいるのです。


 さて、ここまでお話ししてきて、“需要”がなかなか生まれてこない《新しい時代》を迎えていることがわかってもらえたと思いますが、いかがですか」

「そうです。あとで詳しく話すことになると思いますが、デフレに陥ったため、なんとか“需要”をつくり出そうと、金利を下げて投資や消費を促してきたわけですが、ほとんど機能せず、結果的に金利はゼロまで下がってしまうことになりました。過去の経済学の常識では、ゼロに金利を下げても人々がおカネを使わずに喜んで貯蓄するなんてことは考えておらず、これまでの経済の病気の治療法がぜんぜん役に立たなくて、困り果てることになっているわけです」

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