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「火中の栗」三菱自工をあえて拾った日産の野望|モビリティ羅針盤〜クルマ業界を俯瞰せよ 佃義夫|ダイヤモンド・オンライン

 まず、三菱自工である。筆者も設立以来同社をウオッチしてきたが、かつての隆盛から相次ぐ不祥事による転落へと、これほどの紆余曲折を繰り返してきた企業も異例である。米クライスラーとの資本提携によって、1970年に自動車事業が三菱重工から独立し、三菱自工はスタートした。


 つまり三菱自工は、設立時から当時の米ビッグ3の一角であるクライスラーの傘下だったわけだが、その商品構成を見ると軽自動車、乗用車(小型からデボネアまで)、商用車(小型トラックから普通トラックまで)を抱える、世界でも類を見ない総合自動車メーカーだった。


 1970年代は、韓国・現代自動車と技術援助契約を結び、技術供与を通じて現代自の基盤づくりに寄与した。1980年代は東証一部に上場。米国でクライスラーとの合弁現地生産工場を稼働させ、国内ではギャラン店カープラザ店などの複数販売チャネルをセットアップした。1990年代に入ると欧州のオランダでボルボとの合弁生産を開始。国内では現在のSUVの先駆けとなるパジェロが大ヒット、FTOがカーオブザイヤー受賞、GDIエンジンが脚光を浴びるなど、三菱自工は全盛期の勢いを呈した。

 当時の中村裕一社長が「日産の背中が見えた」と豪語したのは、トヨタ、日産を追う第三勢力から一歩抜け出した三菱のポジションを自負したものだった。さらに、ホンダが厳しい状況に置かれていたこともあり、共にメインバンクであった三菱銀行(当時)の主導で「三菱自工、ホンダを吸収合併へ」などという報道が流れたのも、この頃だった(余談だが、ホンダが刺激を受けてオデッセイを開発・投入して当たり、これがホンダの救世主となった)。


 しかし、三菱自工の隆盛期は1990年代半ばまでであった。96年に米国工場でのセクハラ問題で民事訴訟が起き、97年に総会屋利益供与事件、さらに2000年のリコール隠し発覚と社内不祥事が続いたことで、業績にも響いていった。その頃、資本提携先のクライスラーダイムラーと合併(1998年)し、資本提携先はダイムラークライスラーとなった。独ダイムラー主導の資本提携関係に基づき、リコール隠し事件からの再起を図るため、2002年にはエクロート社長が送り込まれた経緯もある。


ダイムラーの意向で、2003年にはトラックの三菱ふそうを分社化したが、2004年に再びリコール隠し事件で河添元社長が逮捕される事態に陥り、ダイムラークライスラーによる追加支援は中止。彼らは三菱自工の元を去っていった。


 そこから三菱グループ主導による再建となる。2004年時、当初は投資ファンドフェニックス・キャピタルによる事業再生委員会が設置され、京都本社移転、岡崎工場閉鎖などの構想もあったが、これも白紙に戻されて、三菱重工三菱商事三菱銀行(当時)の三菱グループ主要3社による優先株約6000億円出資により、再建の道に踏み出した。


 三菱主要3社から三菱自工再建を託されたキーマンが、三菱商事の自動車事業本部長だった益子修氏である。益子氏は2004年に三菱自工に転出し、当初は常務・海外事業統括だったが、2005年1月に社長に就任して以来、約10年に及ぶ三菱自工再建を進めてきた。この間、商品構成を集約化して絞り込むコストダウンの徹底化、東南アジアの強化に力を入れた。結果、2014年3月末に優先株の消却と復配で再建の使命を果たした、と見られていた。益子氏は2014年6月に社長を三菱自工プロパーの相川哲郎氏に譲り、自らは会長CEOとして次の生き残りの道を模索しているところだった。


 この間仏プジョーシトロエンPSA)と、ロシアでの合弁工場や欧州でのアウトランダーOEM提携といったアライアンスを展開し、一時はPSAとの資本提携に傾いたこともある。もう一方では国内の軽自動車事業において、2011年に日産と軽自動車開発合弁会社「NMKV」を両社折半出資で設立し、日産とのアライアンスを進めた。

 一方で日産としても、仏ルノーに救済を仰いだ1999年からの再生後、ルノー日産連合で進めて来た17年間に渡るカルロス・ゴーン体制下の成長戦略に、次のステップが求められる流れにもなっていた。1999年3月、仏ルノーが日産に6430億円を出資して36.8%の筆頭株主となった。日産がルノー傘下に入り、同年4月にゴーン氏がルノーから日産COO(最高執行責任者)として送り込まれ、翌2000年には社長CEO(最高経営責任者)に就任して以来、ゴーン長期政権となっている。

 もはや言うべくもないが、ゴーン日産による経営再建で見事に日産は生まれ変わった。コミットメント(目標必達)経営やCFT(クロスファンクショナルチーム)活用による企業文化転換、人材活用など、ゴーンの経営手腕は高く評価された。先の2016年3月期決算発表でも、前期2015年度の連結売上高は12兆1895億円(前期比7.2%増)、営業利益7933億円(同34.6%増)の増収増益を示した。北米や中国での好調な販売が、業績を押し上げたことが大きい。


 しかし、ゴーン日産に死角がないかというと、課題は少なくない。今期2016年度は中期経営計画「日産パワー88」の最終年度だが、その目標である売上高営業利益率8%、世界販売シェア8%達成はかなり厳しい状況であること、グローバル地域別に見るとまず母国市場の日本国内販売に課題があり、新興国でも東南アジア地域が比較的弱いことなどがそれに当たる。


 前期で営業利益率は6.5%と上がったが、中計の8%達成は厳しい。富士重工業トヨタ自動車が10%以上を達成しているのと比較すると、彼我の差がある。世界販売シェアも前期が6.2%でほぼ横ばいだ。最終年度となる「パワー88」の今期達成への見込みについては、「かなり高い目標であり、努力目標でもある」と、ゴーン社長もかつてコミットメントした「目標必達」からトーンダウンしている。


 また、日本国内販売での日産の位置づけは、2015年度は57万3000台、前期比8.1%減にとどまった。これはメーカー別で見ると、トヨタ、ホンダ、スズキ、ダイハツに次ぐ第5位メーカーとなる。一方で軽自動車販売は、三菱自工の製造車に加え、スズキからのOEM車で日産ブランド全体の4割近くを占める。それだけ日産の国内販売は、軽自動車ウェートが高くなっているのだ。


 また、日産の世界販売は542万3000台、前期比で2%伸ばし、これに仏ルノー販売を加えると852万台で、世界販売のメーカー別ランクではトヨタ、VW、GMに次ぐ第4位の位置づけとなる。


 今期の日産の業績見込みは、「不安定な市場環境と為替動向を踏まえ、慎重な業績見通しとした」(ゴーン社長)。売上高11兆8000億円(前期比3.2%減)、営業利益7100億円(同10.52%減)と予想する。


 つまり、長期政権のゴーン日産もその成長戦略に翳りや課題が出てきていると言えよう。そのため、次のステップとしてあえて三菱自工とのアライアンス拡大、資本提携に踏み切ったのも、ゴーン・日産ルノー連合のしたたかな戦略に繋がる。日産にとって大きな課題となっている日本国内販売の軽自動車基盤、ダットサンブランドで開拓を進めているものの比較的弱い東南アジア戦略、先駆けて話題をつくったものの今ひとつ市場浸透が進まないEVの共同化などにおいて、三菱自工の技術・ノウハウは共同活用できる。世界販売でも、ルノー日産連合に三菱自動車の100万台強を加えると、新ビッグ3の1000万台に肉薄することになるわけで、ゴーン氏の世界覇権の野望は大きくステップアップすることになる。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160516#1463394931