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なぜ、あなたはそんなに臭うの? : 山口真由オフィシャルブログ

そして、それ以上に問題なのは、19世紀以来、「smelly(臭い)」「dirty(汚い)」というのは、ユダヤ人を差別するときの代名詞として使われてきたことである。「smelly Jew」で検索していただければ、よくわかるはずである。Anti-Semiticと言われる、ユダヤ人に対する人種差別表現に分類されるのである。このように分類された時点で、この表現は、彼女個人への侮辱のみならず、ハーバードのすべてのユダヤ系学生、ユダヤ系教授、そしてユダヤ人全体への屈辱となる。


これに対して、ユダヤ系学生団体は猛烈に抗議した。彼らはTzipi Livni氏、ハーバード・ロースクールユダヤ系学生、そしてハーバード全体への公開謝罪を求めている。

どうすれば、選択的シングルマザーになれますか? : 山口真由オフィシャルブログ

不妊治療というのは、排卵誘発剤を使った方法や、タイミング法など、「自然な形で」妊娠できるようにする治療を含むが、「生殖補助医療」というのは、精子卵子を体外で受精させて、女性の子宮内に埋め込むなどの高度な技術を用いる治療のみをさす。


なかでも、「第三者生殖(third party reproduction)」と言われる分野は、夫婦とかカップルとか、親になる人以外の第三者が、子どもの誕生に関与するものを指す。具体的には、精子ドナー、卵子ドナーと、代理母である。そして、これもまた、アメリカでは巨大な産業なのである。

しかし、私は、精子提供を受けて母親になった女性が、インタビューの際に漏らした言葉を忘れることができない。


「子供の絵本や歌、世の中は『パパ』と『ママ』であふれてる。1歳になったばかりの私の息子もすぐに気づくでしょう、うちは『普通じゃない』って」


そうなのである。絵本や歌、童話におままごと、世の中は「これが『普通』だ!」という規範を発信し続けている。そして、その普通の範囲に入れなかった人たちは、苦しめられ、追い詰められ、社会からはじき出されるのである。

そして、こう思うのである。


「普通であることなんて諦めてしまえばいい」と。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160524#1464087124

誰か、私の妊娠を代わってくれますか? : 山口真由オフィシャルブログ

日本では、2003年の女優の向井亜紀さんによる出産の事例が有名である。彼女の場合には、アメリカのネヴァダ州で代理母による出産をしたものの、日本では「実子」として戸籍に登録することができず、最高裁まで争った。2007年、日本の最高裁は、実子としての登録を認めた高等裁判所の判断をひっくり返して、「やっぱりダメ」という判決をくだしたのであった。


日本では、産婦人科学会の会告によって、「代理母」は全面的に禁止されている。

「従来型代理母(Traditional Surrogacy)」は、代理母卵子を提供し、さらに母親の代わりに妊娠して子供を産むというもの。それに対して、「借り腹(Gestational Surrogacy)」というのは、両親の提供した卵子精子を掛け合わせて受精卵を作ったのちに、それを代理母の子宮の中に着床させて子供を産むというもの。

従来型代理母については、ニュージャージー最高裁が、Baby Mというとても有名なケースで「違法!」と判断した。「卵子を提供して、妊娠を提供して…それって本当に『母親』そのものではないですか、どこが『代理』なんですか」という気がしてくるので、今では多くの州で事実上ほとんど行われていない。アメリカの代理母の多くが、「妊娠提供者」型である。この「妊娠提供者」型については、カリフォルニア州のJohnson v. Calvertという判例がある。卵子提供者と妊娠提供者の二人のうちどちらが母親になるべきかについて、カリフォルニア最高裁卵子提供者のほうを母親として認めたのである。

代理母に要する費用は、なんと総額100,000ドルになるそうだ。子供を手放したくないといった争いが多きると困るので、他人の子供と自分の子供を混同しない精神的に成熟した女性であることが必要とのこと。精神面でのチェックなどのテストで4,000ドルかかってしまうらしい。日本人のカップルがアメリカに代理母を求める場合には2,000万円はすると聞いていたが、旅費も含めるとこの数字は大げさではないようだ。


よく聞いてみると、代理母向きの女性というのは、「若くて失業していて…」という人ではなくて、「中流階級で、子供も2、3人いて、精神的に成熟していて…」という人で、そういう代理母を探すのは難しいらしい。

さらに言えば、私は、「母親になる資格」のなかに、「親になった時点で、自分のこと(自分自身のキャリア、ライフスタイル)よりも子供のことを優先できること」を含めて考えている人が多いような気がする。これは日本だってアメリカだって同じである。私の母は、間違いなく私たち娘を優先してきたし、私の中にもその価値観は根付いている。


しかし、自分のキャリアと家族にどれだけの時間とエネルギーを注ぐかは、これこそ、人間としてのコア中のコア。「プライバシー」の領域なのではないか。そして、それを自分で決められることが、「個人の尊厳」なのではないか。だからこそ、この部分の価値観を人に押し付けるときには、よくよく慎重にならないといけないと思うのである。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160511#1462963051

忠恕 - Wikipedia

「忠」は人間が自然に持っている真心。「恕」は人間が自然に持っている思いやりの心忠恕をひとつの漢字「仁」で表す。

ちゅうじょ【忠恕】の意味 - goo国語辞書
恕とは - 語彙

恕とは如の心、即ち、一切を包容して進歩向上せしめんとする心のこと。
説文解字の心部には「仁なり。心に従い如を声とす」とあり、その言葉の通り恕は仁に近い。
ただ、仁と異なるのは中せんとする心、即ち「忠」の有無である。
大学に「仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪む」とあるが、「恕」だけではこの「能く悪む」という部分の存在が欠如しているが故に、包容した上で向上せしめんとはしても、そこに甘んじてしまう者にとっては単なる愛と変わらなくなってしまう。

なお、恕は如+心であるが、如の字解には複数説ある。

もう一つは、口は領域・本分を示すという説で、所謂、国などに用いられる口と同じものとする場合である。
女の領域において男と必然的に異なるのは子を産むということである。
新たな生を育み、これを出だすは造化そのままであり、故に「如し」は“そのまま”の意となり、新たに生み出すから「如(ゆ)く」となる。
そして、母の心は子に対する慈愛に満ち、子供を包容して已まないから、心をつければ恕(ゆる)し、恕(おも)うのであるが、恕(おも)うに過ぎて律せざれば恕(おろ)かとなる。
故に恕はすべてを包容し育むも、忠がなければ道を得ず、善悪兼ね入れて達するには至らない。
ここにおいて、家庭における父の存在、即ち、忠の必要性が認識される。
即ち、恕と忠は、影の形に添うが如くにあるべきものなのである。

中華人民共和国ご訪問に際し(平成4年) - 宮内庁

私が好きな言葉に忠恕ということがありますが,これは自分に誠実で,そして人の心を思いはかるという意味のことです。これは論語にある言葉であり,また,私が小さい頃,当時の穂積東宮大夫は,新訳孟子をちょうど在職中に書いていましたけれども,その新訳孟子も後に興味深く読みました。

asahi.com(朝日新聞社):皇太子さま誕生日会見・全文 - 朝日新聞プラス

 ご質問の冒頭にあった「天命を知る」という孔子の言葉は、自分がこの世に生まれた使命を知るという意味ですが、単に知るだけではなく、この世のために生かす、つまり、人のために尽くすという意味を含んでいるように思います。孔子の言葉といいますと、確か天皇陛下が50歳になられた時の会見で、「夫子の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」との孔子の言葉で質問に答えていらっしゃいます。「忠恕」とは、自分自身の誠実さとそこから来る他人への思いやりのことであり、この精神は一人一人はもとより、日本国にとっても「忠恕」の生き方が非常に大切なのではないかとおっしゃっておられます。「忠恕」と「天命を知る」という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております。

悠仁さまご誕生!皇室男子の教育の変遷 [早期教育・幼児教育] All About

1984年結婚25周年の会見で天皇陛下は、お子様の教育について、「基本的に私の育った経験から良かったと思うものを取り入れ、そうでなかったものを改めてということになると思います。


私の育ったときと違いますのは親兄弟が一緒に住んだこと、また、教育を学校に任せたことかと思います。」とおっしゃっていますが、親元を離れ、ご兄弟も離れて過ごされたことで、次のようなお辛い経験もされました。


弟宮さまが天皇陛下のおられる東宮御所に遊びに来られて、兄弟げんかをされた時、東宮侍従は「義宮さまの教育係のしつけが悪いからだ」と言い、逆に義宮さまのご教育係は、「東宮侍従のしつけが悪いからだ」と言い争いになり、天皇陛下はご兄弟でたいへん悲しい思いをされたのです。


天皇陛下は、ご自分のお辛い経験からご自分の子どもとたちとは一つ屋根の下で暮らすことを切望され、侍従もおひとりの方に、ふたりの子ども両方をみてくれとおっしゃったそうです。

皇太子さまと秋篠宮さまを拝見していると私達も感じますように、天皇皇后両陛下は、おふたりそれぞれの個性を大切にお育てになられました。


お子様が小さいころからいろいろなものに興味を持つ機会を多く作られ、皇太子さまは音楽にご興味があり初等科1年生からバイオリンをされ、秋篠宮さまは動物がお好きで特にヘビ、カメ、トカゲなどにご興味がおありになったということです。

秋篠宮さまがお生まれになったとき、天皇陛下は、おふたりの子育てについて、「私はふたりを、可能な限りわけ隔てしないでいきたい。それまでは上の方を自由に、下のほうを窮屈にとの方針で育てたいと考えています。」とおっしゃっていました。


皇太子は将来、窮屈な立場になるから、できるだけ自由に伸び伸びと育てたい。秋篠宮は次男で将来もっと自由な立場になるのだから、小さいときには厳しく育てたい。というお考えから、秋篠宮さまには厳しくされたということです。

秋篠宮さまが小学校高学年から中学生だったころ、数学の分からない問題を天皇陛下がご一緒に解かれたり、「この問題を解きなさい」「じゃあ、これは」と、随分ご熱心に教えられました。また、美智子さまも必ず図を書きながら算数などを教えられたり、短い詩や和歌、平家物語などもご一緒に読まれていました。意味とか解釈はほとんどせず、ただ読むだけだったので、とても楽しかったと秋篠宮さまはおっしゃっています。