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「管理屋の跋扈でソニーからヒットが消えた」:日経ビジネスオンライン

 戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。

大曽根氏(以下、大曽根):昔のソニーは、市場調査なんてものをあまり重視しなかった。だからこそ斬新な製品を生み出せたんだよ。「まだ世の中にないものなんだから、消費者に聞いて調査をしても、欲しいものが出てくるわけがない」っていう考え方だった。


 初代ウォークマンを作り始める時もそうだったな。


 そもそもは井深(大、ソニー創業者)さんが海外出張に行く際に、飛行機の中で自由に音楽を聞きたいということで、「何かおもしろいものはないか?」と、当時テープレコーダーを作っていた私の部署に、ふらりと来たことがきっかけだったんだ。


 私たちは現場で、既にソニーが発売していたモノラルタイプの小型テープレコーダーを、ステレオタイプに改造して遊んでいたんだよ。手のひらに乗るほど小さな機器だったんだけれど、ヘッドフォンにつなぐといい音が出せたんだよね。


 それを井深さんに頼まれて、飛行機に持ち込めるような形にした試作品を作ったんだ。小さくしたままステレオ化するために、スピーカーと録音機能を外して、再生専用機にした。これが初代ウォークマンの試作機だよ。

#ユーザーイン

「ソニーも大将が変わればがらりと変わる」:日経ビジネスオンライン

大曽根氏(以下、大曽根):確かに私が副社長に就いていた時期は、出井さんのソニー経営トップ時代と少しかぶっていたな。


 その頃のソニーは、もう売上高が4兆円とか5兆円の巨大企業になっていて、新社長が急激に舵を切っても、すぐには思い通りに方向転換できない図体になっていたよね。それが幸いして、出井さんが経営トップになってからも、大賀(典雄、元ソニー社長)さん時代の路線がまだ残っていて、その遺産でしばらくは調子良く見えていた。


 大賀さんがなぜ出井さんを選んだのかという点は、本心ではどう考えていたかは分からない。だから私は、「あの大賀さんが後継者として出井さんを指名したんだから」と思って、何も言わなかったけれどね。その頃は、井深(大、ソニー創業者)さんも盛田(昭夫、ソニー創業者)さんも病気で倒れた後で、大賀さんが後継者について相談ができる状態でもなかったから。


 大賀さんの社長時代、出井さんはデザイン部門のマネジメントなどを担当していたこともあったんだけど、「オーディオ事業はこうした方がいい」とか、大賀さんにいろいろなレポートを送って、自分の存在をアピールしていたよね。


 その後、実際に出井さんがオーディオ事業を任されることになるんだけど、事業の舵取りはあまりうまくいかなかったのが事実だよ。出井さんは海外営業の経験が長くて、技術は分からなったから。


 まあいろいろと報道されているし、彼がやったことの「いい悪い」は今さらもう話したくないけれどね。

大曽根:ただ、この20年のソニーの歴史を振り返ってもらえば、私が繰り返し主張してきたことの正しさを、よく分かってもらえると思うんだ。ソニーのようなハイテク企業は、組織のリーダーが技術に疎くてはダメなんだよ。新しい技術に終わりはなくて、次から次へ進化していく。それをいち早く理解して、どんな世の中が到来するのか想像できないと、どんな製品やサービスが売れて儲かるのかも分からない。


 勘違いしてもらっては困るんだけど、これは批判ではなく心配なんだ。エレクトロニクス(エレキ)事業でさ、「もう少し何かやりようはないのか」という今のソニーの経営についての心配。事実として言えるのは、大賀さんの後、もう四半世紀近く、ソニーでは技術屋ではない“大将”が続いているということ。


 正確に言うと、大賀さんは声楽家だけど、彼のように一芸に秀でる人間は多芸を理解できるんだ。だから大賀さんは技術も理解できた。井深さんや盛田さんに囲まれて仕事をしていたから鍛えられた面もあるだろう。


 それは私も同じでね。既存製品の延長線上にあるような新製品のアイデアを井深さんに提案したりすると、「もっと飛躍した発想はできないのか」と叱られたりね。私が課長くらいの頃から、井深さんには厳しく鍛えられたよ。


 だから今後のソニーも、大将が変わればがらりと変わる。


 一番心配しているのは、技術が分かった上で経営もできる人材がどのくらいいるのかなってこと。現在は取締役会にも技術系の人材はいないよね。これでソニーの経営を監督できるのかね。

大曽根:今でこそソニーの業績は回復してきているよ。だけど10年以上リストラがずっと続いてきた。一度辞めた優秀なエンジニアは、多少業績が改善されても、もう戻ってこない。この後遺症は小さくないよ。エレキ事業のあらゆる現場で、こういう優秀な技術者の流出が10年以上も続いてしまった。


 どの技術に投資して、どの事業を伸ばしていくか。逆にどれを縮小するか。こういう経営判断は、技術の先読みができる経営者が一貫性を持ってやってほしいよね。技術の先読みのできない大将の問題だけではなくて、ソニーに入ってくる人も変わっちゃったよね。


 高学歴な人間がどんどん入る会社になってから、ソニーは変わったんだ。大企業になるにつれ、学歴の高い人が集まるようになるのは当然なんだけどさ。


 でも会社というか組織って、そういう頭が良くて優秀な“できる人間”だけを集めても、うまくいかないんだ。彼ら彼女らをうまく機能させるには、人徳や胆力などの人間力で、組織をまとめる能力を身に着けた“できた人間”ってのが必要なんだよ。“できた人間”をきちんと育てて、そういう人が組織を率いるようにすれば会社はうまくいく。

大曽根:分かりやすく言えばさ、井深さんや盛田さんは“できた人間”だったってことだよ。だからこそ、ソニーにいた“できる人間”は自分の能力をいかんなく発揮し、活躍できた。


 世の中には、“できる人間”はたくさんいるんだ。それはさ、経営が厳しくなった東芝やシャープだって同じだと思うよ。でも“できる人間”をうまく機能させて率いる“できた人間”が組織の上に立たなくなったから、経営破たんや不正会計のように会社が傾く問題が起こっちゃうってことだ。

 “できる人間”ばかりの会社ではダメだし、“できる人間”が組織を率いるようになると、リスクを取らずに安全そうな選択しかしなくなる。結果として、おもしろいものは生まれなくなる。斬新なアイデアがつぶされていくからね。すると、そういうアイデアを持つ社員がやる気を失い、本来の能力を発揮できず“不良社員”のようになって腐ってしまう。

大曽根:一方で、“できた人間”は、懐が深いから斬新なアイデアを出す人材も大事にする。奇人変人も含めてね。短期では芽が出なさそうでも腰を据えて研究開発すれば革新的な製品につながりそうな技術を見出して、どっしりと構えて部下に開発を続けさせることができるんだ。


 そういうことができるのが“できた人間”だよ。井深さんや盛田さんだけでなく、大賀さんもそうだったんだろうな。


 だけどその後のソニーは、学歴や能力は高い“できる人間”が大勢いる組織にはなったんだけれど、それをうまく使いこなせるキーパーソンの“できた人間”がいなくなってきた。今はむしろ、本社から離れた場所から、こういう人材が生まれることを期待したいね。


 今もたまに、かつての部下から呼ばれてソニーの工場などに講演をしに行くことがあるんだ。ソニーの海外工場に勤務している連中とかね。で、彼らの部下に話をするわけ。「本社を離れて海外の拠点にいると視点が変わる。外から本社を見ると、ダメなところや課題がよく分かるだろ」って繰り返し言っているんだ。


 「本社から出されたとか落ち込んでいる人もいるかもしれないけど、むしろ、こういう場所に来られたのはラッキーだよ。ここで感じた本社の課題を心に刻んで、本社に戻った時に改善できるようにするんだ」という話もしている。


 そうすると、本社から海外の工場に飛ばされたと感じている社員もみんな元気が出るんだよね。でもこれは単に元気づけるために言っているんじゃなくて、本心だよ。


 実際、リーマンショック後に大赤字を出した日立製作所を再建した川村(隆、日立製作所の会長兼社長などを歴任)さんもそうだったでしょ。副社長を務めた後に本社を離れてグループ会社に出された。その際、客観的に本社の課題を認識できるようになった。そして、日立グループが経営危機に陥った時、本体に呼ばれて舞い戻り、会長兼社長になって、外から見ておかしいと思った部分を改革して日立を再生できたわけだ(詳細は書籍『異端児たちの決断』参照)。

大曽根:もしかすると、ソニーの代名詞である“自由闊達さ”を履き違えているのかもしれないね。これは決してやりたい放題で自由にやっていいという話ではないんだ。この言葉の本質は、「誰でも物事を自由に考えて、発言できる」ということなんだ。


 井深さんと盛田さんは、技術系の課長レベルとでもきちんと議論ができた。それは技術も理解したうえで、役職の上下なんて関係なく、自由闊達に議論できるということを重視していたからなんだ。大賀さんも含め、自分に反対意見を言う人も尊重して、きちんと吟味したうえで決断を下していた。自分と意見が違っても、「なるほど」と思う反論ならば引き上げてきちんと対応した。


 だけど、その後の経営陣も幹部も、取り巻きのお友達みたいな人たちやごますり連中で周りを固めてきたんじゃないかな。耳の痛いことを言ってくれる人がいないから、自由な議論もできない。そんな組織はダメだよね。


 反対意見も踏まえて積極的に意見を出し合って、方向性がまとまってきて、最終的に決断する。これがあるべき姿だよ。それなのに、取り巻きにお友達、ごますりを集めて反対意見が出ない状況を作りだして、経営陣や幹部が自分勝手にやりたい放題ではダメでしょ。そういう状況が続いたから、ソニーの経営は長年にわたって迷走したんじゃないか。


 ヒット商品がなかなか出ないところを見ると、経営だけでなく、製品開発の部門もそうなっているのではないかな。上司の承認を得るまでに、企画会議や根回しをやり過ぎているんだろうと思うよ。最初は斬新なアイデアでも、承認や合意を得るために会議を繰り返しているうちに、どんどんカドが取れて丸くなって、無難でつまらなくなる。


 そういうのが出井さんの時代から、今の平井(一夫、現ソニー社長兼CEO)さんの体制まで、延々と続いているのかもしれない。私が、今の内部の社員と話をした限りでは、それは間違いないように思えるよね。

ーー提言書を書くほど思いが募ったということは、当時、大曽根さんの周辺で具体的に何かがあったということですか。


大曽根:付き合いのあった取引業者やソニー社内の幹部連中からいろいろと相談が来ていたんだ。幹部だけじゃなくて、現場の女性社員まで私のところに愚痴りに来たよ。みんな、不平不満をOBに言いにくる異常事態だったんだ。


 そういう社内の声を踏まえて、OBである私が、彼ら彼女らの訴えを代弁して書いたのがあの文書だよ。それなのに会社は聞く耳を持たない。その文書を上層部が読んでも何も変わらないから、近年はまた社内の人がOBたちに愚痴を言いに来るというサイクルが繰り返されてきている。


 結局、大規模なリストラを続けたこと以外で業績回復に寄与した施策って、この10年くらいなかったよね。人を切るだけでなく、所有していた不動産も売って、それを借りる形にしてしのぐとか、そういうことばっかり。会社を救うような大きなヒット商品が出たわけではないし。


 今の姿は、社員と資産を切り売りして数字を良くしただけなんじゃないか。そういう状態でいつまでもさまよっていてほしくない。だからソニーのOBはみんな心配しているんだ。ワクワクする製品も出てこないからソニーファンも寂しがっているよね。取引先の部品メーカーも同じだよ。

大曽根:今は、新しい部品を開発してソニーに持って行っても、「この部品は採用実績があるのか」「他社はどう言っているのか」なんてソニーの社員が言うんだって。もうビックリだよ。


 昔はさ、むしろ他社での採用実績がないことがメリットだと評価して、ソニーの最終製品に使う部品として率先して採用していたんだ。


 だって、そうじゃないと新しい商品にならないから。実績や他社の反応とか聞いてから採用するか決めていたら、他社に先駆けるような斬新な製品は作れないよね。実績なんて気にせず、この部品はいけるかどうかのポテンシャルを目利きして判断しなきゃ。


 輝いていた頃のソニーを知っている人間からすると、この10年のソニーの姿は想像できないものばかりだよ。社内の若い連中と飲んでいろいろ聞くと、もう理解できないことが次々と社内で起こっているんだ。

大曽根:笑い話だけど、昔は給料も銀行振り込みではなくて、給料袋を手渡しでもらっていたわけ。でも、いろんなものを作って仕事に夢中で、朝方近くまで徹夜の騒ぎで「ああだ、こうだ」と議論しながらモノ作りをやってたわけだ。


 そんな風に会社で夢中でいろいろ考えていると、給料日にもらった給料袋を机の引き出しに入れっぱなしにして家に帰っちゃうこともよくあったんだよ。すると女房から翌朝、「昨日は給料日じゃなかったでしょうか」なんて聞かれてしまう。「あ、そうだ、いけねえ。引き出しの中に入れてきちゃった。今日は必ず持って帰ってくるから」なんて言ってさ(笑)。


 仕事が面白いと、どうしてもそうなっちゃう。そういう雰囲気で、次に何を作るのか考えて、手を動かして作るのが楽しくて仕方ない時期だったんだ。給料日に給料袋を持って帰るのを忘れるのも仕方ない。給料が上がることよりも、おもしろい仕事をさせてもらえる方がうれしかったわけ。私の周りにも、そういう奴らがいっぱいいた。だから私は「仕事の報酬は仕事だ」って部下に言っていたの。


 いい仕事をした奴には、ご褒美として新しい“おもしろい仕事”を与えてきたわけだから。みんな、給料がどうこうというよりも、仕事がおもしろくて生き生きとしていたよね。だから、おもしろい製品が生まれたんだ。

大曽根:そういう価値観って、今の時代でも日本人なら分かると思うんだけどね。だけどストリンガーが経営トップだった時代、報酬が数億円とかになっていた時期は、その感覚がもう分からなかった。


 何億円もの報酬をもらって、ソニーの業績を良くしてくれてたらまだいいんだけれど、大して業績が良くもないのに高額の報酬もらっておかしいでしょ、と思ったわけ。業績が悪いのに経営トップが何億円ももらっていたら、普通の社員がやる気を失うのは当たり前だよね。


 許せなかったのは、そういう報酬体系を作るためにガバナンスの体制をいじったことだよ。報酬委員会の人たちを“お友達”で固めて、自分の報酬をガッと上げる大義として利用してたようにしか見えなかった。そしてソニートップの報酬が、一気に数億円単位になっちゃった。それは業績をしっかり上げてからやってほしいよね。

大曽根:あいまいさを意味する「ファジー」って言葉が流行ってた時代を知っているかな?


 その頃は「上司がファジーだと、部下がビジーになる」っていう教訓も言っていたんだ。これなんかまさに、近年のソニーの経営をうまく言い表しているでしょ。トップの言葉や方針が曖昧でよく分からないと、現場が迷走してムダに忙しくなるってことだよ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160530#1464604710
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160529#1464519097
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160529#1464519098
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160529#1464519099
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160529#1464519102
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