https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

「中間管理職」こそがリーダーシップの醍醐味【田坂広志×藤沢久美 特別対談】 イベントレポート 第3回|最高のリーダーは何もしない:内向型人間が最強のチームをつくる!|ダイヤモンド・オンライン

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160613#1465814379

なぜ、あの人は欠点だらけなのに好かれるのか?|7つの知性を磨く田坂塾|ダイヤモンド・オンライン

 まず、A課長、彼は、色々と欠点はあるのだが、何よりも自分の欠点を良く知っている。そして、それを、素直に仲間の前で認めている。


 それは、会議室に入るなり「すまん、すまん!」と申し訳なさそうに謝る風情にも現れている。そして、「俺、また、やっちゃったな…」という言葉からも、自分の欠点を自覚していることが伝わってくる。


 そして、B社長、彼は、「短気で、すぐ怒鳴る」という欠点が出た後、社員に対して、直接に詫びることはしないが、無言のメッセージで、「怒鳴って、すまなかったな」という反省と謝罪の思いを伝えている。それが、彼なりの「たい焼き」の手土産であり、その無言のメッセージは、給湯室の会話のように、しっかりと社員に伝わっている。


 すなわち、このB社長もまた、自分の欠点を、内心、素直に認め、反省している。そして、そのことを社員に対して、無言のメッセージで詫びている。


 このように、A課長やB社長が、人間としての至らぬところ、非や欠点を持っているにもかかわらず、そして、その非や欠点がゆえに周りに迷惑をかけているにもかかわらず、それが職場や会社の人間関係を甚だしく損ねていない理由は、二人が、自分の非や欠点を素直に自覚していることであり、さらに、その非や欠点を、周りの人間に対して率直に認めていることであろう。


 こう述べると、「そんな簡単なことで、人間関係がうまくいくのか…」という疑問を持たれる読者もいるかもしれない。しかし、実は、この「自分の非や欠点を素直に自覚する」ことや「自分の非や欠点を率直に認める」ということは、言葉で言うほど簡単なことではない。


 もとより、言葉だけで「誠に申し訳ない」と謝ることや、「自分の不徳の致すところです」と非を認めることは簡単にできる。また、そうした「形だけの謝罪の言葉」は、世の中に溢れている。


 だが、こうした「形だけの謝罪の言葉」で非を認めても、我々の心の中の「小さなエゴ」は、しばしば、「自分は悪くない!」「自分は間違っていない!」「自分に非はない!」「自分の問題ではない!」と叫んでいる。そして、周りの人々は、我々の「形だけの謝罪の言葉」よりも、その「小さなエゴの叫び」をこそ、無言のメッセージを通じて敏感に感じ取っている。


 しかし、このA課長とB社長は、それぞれにスタイルは違うが、二人とも心の深いところで、自分の非や欠点を素直に自覚しており、自分の非や欠点を率直に認めている。そして、そのことを、「言葉のメッセージ」として、また、「無言のメッセージ」として、周りの人々に伝えている。


 すなわち、もし我々が、自分の非や欠点がゆえに、相手や周りの人々に迷惑をかけたとしても、心の中で自分に非や欠点があることを自覚し、自分の非や欠点を相手や周りに対して認めることができるならば、人間関係は、決しておかしくならない。また、それができるならば、それだけで、こじれた人間関係が良くなっていくことさえある。


 なぜなら、仕事や生活において人間関係がおかしくなるときというのは、必ずと言って良いほど、互いに「相手に非がある」「自分には非はない」と思っているからである。


 従って、我々の日々の人間関係は、たとえ「非を改める」ことや「欠点を改める」ことが直ちにできなくとも、まず、心の中で「非を認める」ことや「欠点を認める」ことができるならば、決しておかしくならない。


 なぜなら、B社長の例にも示されるように、心の中にある「自分の非や欠点を認める思い」は、その表情や眼差し、仕草や身振り、態度や雰囲気などの「言葉以外のメッセージ」を通じて、不思議なほど、相手や周りの人々に伝わっていくからである。


 ただし、この「非を認める」「欠点を認める」「未熟さを認める」ということは、非もあり、欠点もあり、未熟な自分を、「それで良し」と自己肯定し、正当化し、胡坐をかくことを意味しているわけではない。心の中では、その非や欠点や未熟さを克服していこうという思いは、持っていなければならない。そのことは、改めて言うまでもないことであろう。

 もし、我々が、相手や周りの人々に対して「自分の非や欠点を認める」ことができるならば、それだけでも人間関係は好転していく。しかし、さらにそれを超え、「自分の非や欠点を受け容れてくれる相手や周りの人々に感謝する」ことができるならば、そこには、心が深く結びついた人間関係が生まれてくる。

 実は、先ほどのB社長のエピソードでも述べたように、「非を認める」ということもまた、必ずしも、相手や周りの人々に対して「言葉」に出して語る必要はない。心の中で「非を認める」だけで、不思議なほど、その「思い」は、相手や周りの人々に伝わっていく。


 なぜなら、我々のコミュニケーションというものは、実は、「言葉のメッセージ」で伝わるものが「2割」であり、表情や眼差し、仕草や身振り、態度や雰囲気など「言葉以外のメッセージ」で伝わるものが「8割」だからである。

 人は、非があり、欠点があり、未熟であるから、周りの人の心が離れていくのではない。


 人は、自分の非を認めず、欠点を認めず、自分には非が無い、欠点が無いと思い込むとき、周りの人の心は離れていく。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160601#1464777924