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舛添都知事と東芝に共通する「失敗の本質」|長内 厚のエレキの深層|ダイヤモンド・オンライン

 ポイントは、最悪の事態からの早期脱却を目指し、短期的にわかりやすい解決策を求めようとし過ぎることで、かえって問題の解決から遠のいてしまうということだ。

 両者に共通する特徴は、現在起きている問題に対して根本的な対策を取るのではなく、過小評価をしてその場しのぎ的な対応を続けてきたことと、もう1つはメディア対応のまずさであろう。悪い情報ほど早く真摯に公開するということは、広報の危機管理の鉄則と言える。しかし、両者とも曖昧な説明や先送りに終始し、よりメディアの追及を厳しくさせた。どちらもメディアから集中的に攻撃されたのは、自身のメディア戦略の失敗であり、身から出た錆と言ってもいい。


 もう1つの共通点は、事の重大性だろう。東京都は欧州の一国レベルの人口や経済力を持ち、大統領型の統治システムを採用している日本の地方自治制度においては、東京都知事は一国の元首に等しい存在である。


 一方東芝は、世界有数の(撤退の機会を逃したという意味も含めて)原発メーカーであり、老朽化した原発廃炉も含めて大きな責任を持ち、かつ原子力技術という安易に海外流出させることのできない国家の安全保障にもかかわる事業を行っている企業である。東京都と東芝のどちらも、一地方自治体、あるいは一私企業の問題で片づけられない、国レベルで大きな影響力を及ぼす組織である。こうした組織が極めてプリミティブな問題における対応の拙さでつまずくことは、日本の組織の戦略能力の低下が疑われる。


 さらに問題なのは、これまでの問題解決のプロセスの安易さという共通点であろう。東京都知事は前回も不祥事で知事選挙となった経緯があり、また歴代の知事の多くは、それまでの行政手腕や政治能力が評価されてというより知名度の高さによって、いささか失礼な言い方をすれば、タレント的な魅力に惹かれて安易に都民が選んだ知事である。目先の派手さ、わかりやすさが選択の基準となってきたと言ってもいい。


東芝をはじめとする日本の家電メーカーも、似たところがある。過去について言えば、中村邦夫社長時代のパナソニックや片山幹雄社長時代のシャープのように、短期的な収益性の改善をV字回復ともてはやされるも、その実、将来の利益の先取りでしかなく、その後再び経営危機に陥っている企業は少なくない。


 現在の東芝にもその兆候は見られる。事業売却などで短期的な経営危機からは脱却したかに見える東芝であるが、今後の経営の3本柱とするエネルギー、ストレージ、社会インフラのそれぞれの事業を見ると、エネルギーはいまだその半分を原発に依存したままである。


 ストレージはフラッシュメモリの増産による収益増を狙っているが、同製品ではすでにサムスン電子ベトナムに大規模な投資を行い、経営回復につなげている。このまま行けばサムスンとの体力勝負は避けられず、規模の面で東芝は極めて不利である。


 残る社会インフラは、技術的には優れているものの1つ1つが小粒であり、これからいかに育てていくのか、その具体的なプランはまだ見えていない。仮に、東芝が短期的に経営状況を改善したとしても、それは事業の売却益によるものであり、長期的な戦略的視点に立ったものとは言い難い。