「真田丸」三谷幸喜氏独自の歴史解釈による「秀次事件」に称賛 - ライブドアニュース
秀次切腹を初めて記したのは江戸時代の『太閤さま軍記のうち』という書物。そこで描かれた、悪行三昧の秀次に謀反の噂が流れ粛清された、というのが従来の定説だったが、早くから多くの歴史家が疑問を投げかけていた。そもそも秀次に謀反を起こす力はなく、3代目を秀頼が継ぐことは規定路線として決まっていたからだ。ではなぜ、秀次は死ななければならなかったのか? 石田三成や茶々の陰謀説なども唱えられてきたが、どれも決定打に欠ける。
そこで今回、三谷幸喜が描いたのが、新たな“秀次ウツ説”だ。あまりにも偉大すぎる叔父から中継ぎ投手を命じられ、しかも秀頼が生まれたことにより、叔父から疎まれているのではないかという脅迫観念に押しつぶされて、自ら高野山に籠もり自殺してしまう。信長・秀吉という戦国の英傑の作り上げた天下を、血縁というだけで嫡子でもないボンボンがいきなり背負わされたら、疑心暗鬼にかられウツになるのも頷ける。
歴史書の多くは勝者の手で改ざんされていたり、江戸時代の講談や読み物として面白おかしく脚色されていたりすることが多く、必ずしも従来の説が真実の歴史とは限らない。
三谷自身、朝日新聞の連載の中でこう書いている。
「豊臣秀次」がどんな人間なんだろうと考えた時、僕にはこの説が一番しっくりきた。当事者たちのほんのちょっとした思いの「ずれ」が、取り返しのつかない悲劇を生んでしまうというのは、とてもリアルだ。(中略) 精神を集中して当時に思いを馳せ、必死に秀次に自分を重ね合わせ、心の中の彼に、なぜあなたは死ななければならなかったのか、と問い続けた結果、なによりも腑に落ちたのがこの解釈だった。2016.7.14(朝日新聞)