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「日本一出世した男」豊臣秀吉から学ぶその他大勢から抜け出す調略法|戦略は歴史から学べ|ダイヤモンド・オンライン

百姓から天下人になった豊臣秀吉。秀吉は、純粋な武力で勝利をつかむより、味方をどれだけ増やすか、全体の趨勢を左右する重要な人物を、どう自陣営に引き込むことができるかの調略に秀でていた。

 書籍『秀吉の天下統一戦争』には、秀吉の着用したことが確実な鎧などから身長を154センチ、体つきも華奢だったとしています。しかし、身長180センチ、「槍の又左」の異名をとった前田利家などより出世をしている理由を次のように述べています。


「戦わないで敵を味方にしてしまう調略も立派な兵法として認識されていた。秀吉はこの調略を得意とし、その説得と誘惑の特技をもつともいうべき秀吉の才能に目をつけ、有効に活用したのが信長だったというわけである」(書籍『秀吉の天下統一戦争』)

 しかし、秀吉が謀略だけが得意な、線の細い人物だったかと言えば、そんなことはありません。本能寺の変(1582年)の2年後の1584年に、先の宣教師ルイス・フロイスが本国に送った報告書には、次のように書かれています。


「信長の家臣中甚だ勇猛で、戦争に熟練な人・羽柴筑前殿」


「彼は畏怖せられ、また、一度決心したことは必ずこれを成し遂ぐるのが例である」

 秀吉の強さは、戦う前の寝返り工作にあるのですが、同様に「戦わずに勝つ」ために兵糧攻めや水攻めも積極的に行っています。三木の干し殺し、鳥取の渇殺し、備中高松城岡山県)の水攻めなどが有名です。

 時代の転換点では、勝てる要素ががらりと変わることが多いものです。武力が戦国の時代の出世を決めた時代から、秀吉が創り上げたネットワーキング能力が勝者を決める時代が到来したのです。


 日本企業もかつては「技術が会社を繁栄させる」と言われた時代がありました。ところが、現在では技術を新規事業や高い付加価値に結びつける発想力がない企業は、生き残ることさえ難しい新たな時代を迎えています。


 秀吉の出現により、純粋な武力では勝利を手に出来なくなったように、技術だけでは技術を付加価値に変える力を持つ者に、太刀打ちできなくなっているのです。


 秀吉は、主君の信長にその才能を見出されましたが、秀吉の才能は戦国の風景を様変わりさせました。一社単独ですべてに勝ることができない規模の競争になり、ネットワーキング能力こそが勝者を決める、新たな時代を生み出したのです。

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