議員は、靖国神社に正々堂々と参拝せよ。戦争で戦い、亡くなられた英霊が祀れています。英霊も戦争の犠牲者。日本人は戦争を憎み、平和を願い、英霊に感謝し参拝します。たじろがず、この日本人の心を世界に発信する義務がある。 反日国だけが反対! pic.twitter.com/mgyZBYTFEQ
— 舞扇 (@mahonoyumiya) 2016年8月13日
うちでは明日、ボスを中心に5−6人で参拝。
— オフイス・マツナガ (@officematsunaga) 2016年8月13日
全員黒の上下のスーツに黒のサングラス(参拝時はサングラスをはずす)、僕もやっと夏用の黒のスーツをかえたw
この異様な黒の集団みかけたら、声かけてよし!https://t.co/LCiOpCjNRS@mahonoyumiya
「戦争法案で日本は戦前のように戦争になる!」と言っている人たちと、「金融緩和で国債は暴落してハイパーインフレになる!」と言っている人たちは、自分の中では、だいたい同じグループ。分野は違っても発想は同じだろう。
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2016年8月12日
「戦争法案だ!」と叫ぶ人たちは、世界の安保政策を見ようとしない。
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2016年8月12日
「金融緩和は危険だ!」と訴える人たちは、世界の金融政策を知らない。
そうなんだよな。僕がネットではわかりやすい典型例だろうけど、リフレ政策を支持しているだけで、その範囲内で安倍政権を支持しているだけ。民主党政権時代では民主党内でリフレ支持する人達に期待もしたけど(多くは似非だったが、まあ、そこは眼をつむった)。このリフレ派の性格は理解されてないw
— 田中秀臣 (@hidetomitanaka) 2016年8月11日
いまでも悪質なネット匿名系が、僕らリフレ派をなんだか特定の政治的立場や歴史解釈を持つ集団としてまとめようとしているが、それは悪質で歪んだリフレ「批判」。経済的な事実や論理で対抗できないので、そういう悪質なイメージをつくってやる、まあ、よくあるワンパターン。10数年尽きることなしw
— 田中秀臣 (@hidetomitanaka) 2016年8月11日
人間が理性的な存在であることを前提としているか否かの違い。
それは、自由主義の問題であり、民主主義の問題である。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160812#1470999018
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160811#1470911854
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160811#1470911855
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160810#1470825141
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160810#1470825149
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160809#1470739105
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160809#1470739106
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160808#1470653574
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141201#1417430505
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131122#1385117662
#Fラン #DQN #非モテ #ヲタ#荻上チキ問題 #パフォーマー
アダム・スミスの労働価値説は自由放任の主張と矛盾してないですか? - BIGLOBEなんでも相談室
自由放任は資本主義の心構えと言うのは問題があるかと思いますよ(笑)。
間違っても資本主義は、アダム・スミスが作ったのではありません。アダム・スミスはまさにその封建社会の崩壊と資本主義がまさに見えているその中で、生きていたのです。自由放任は、重商主義ともいえますが、簡潔には国家ですね。アダムスミスの難解さは、彼が法学と倫理学というその間から、経済学という視角が飛び出しているということにもあるように思います。スミスがみた資本主義的生産というのは、人間が自然に働きかけて生まれる動態的過程です。つまり、分業があるわけですが、それはスミスによると、「人間の交換の性向」が人には本来備わっているのだということです。彼自身は確かピン工場の例を提示しているはずですね、分業に関しては。労働価値というのは、こういう視角の中にあるわけですが、やはりその土台は、なんといっても剰余価値にあります。これはスミスの発見というよりは、フランソワー・ケネーにあります。彼は重農主義の先駆者であり、ボス。そしてなぜかその経歴は医者であったというのがおもしろいところです(医者であったことは彼には大きな土台をしいたというのが一般的ですね)。ともかく、スミスはその人間が自然に働きかける過程の中で、労働は剰余価値を生み出す。それがスミスの発見ではないでしょうか?ここが根本の労働価値の概念のはずです。賃金がどうとかというのは、その後にきます。彼は詳細を述べています。基本的に資本主義的な世界では、土地・生産設備(原料)・賃金という要素があり、彼は地代等を差し引いても、利益がかえってくることを見たわけですね、ちょっと具体化しますと。スミスの自由放任が、今の自由主義と同じでしょ!というのは、実は横暴なところがありまして、つまり共通点は、どこまで国家が介入すんの?その線引きをどうすんの?という、基本を国家は必要悪とするところだと思います。
ですから、結論は、自由放任は、人間の性向なるものを最大限に活動させるためには、できるだけ自然法なるものを最大限に働かせるような、適切な実定法をしき、かつてこの性向を制限して殺してきた国家は適度に制限されなければならないというものであり、その性向を働かせると、人間が自然に働きかける再生産過程が循環する。すると、労働価値説、つまり剰余価値なるものが生まれ、国家は富むのだというのがスミスの考えです。別に自由放任と労働価値の概念はまったく矛盾していません。、むしろささえあっています。ただスミスがやはり資本主義的な世界を前提としてこのロジックが立っていることは忘れてはなりませんね。参考は内田義彦などがいいでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131211#1386758725
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090218#1234929452
学問の道他(た)なし その放心を求むるのみ 『孟子』 ( 倫理学 ) - 論愚阿来無の『万馬券の兵法』 - Yahoo!ブログ