達磨が言う「無功徳」は例え善事善行をなそうとも、
あれもした、これもしてやったと果報を求めたり、
見返りを求めて行う打算的善行は真の善行ではないと
いう諭したのだ。つまり信心、信仰はご利益を求めて
行うものでなく、喜捨奉納も功徳を求めて施すもの
ではないのだ。
真の信仰は、自らの見返りのない無心にして真心からの施し、神仏へ絶対帰依心
による祈りであり、施しであり、誓いである。
『無功徳』という言葉の意味は、《 前もって良い報いのことを考えて(何かを期待して)、良い行いをしたならば、何の功徳にもならない》 ということです。
「私はこれまで多くの僧侶に供養したり、たくさんの寺院を建立してきた。果たしてどのような功徳が私にはあるか?」
ダルマさんはひとこと答えました。・ …「無功徳(功徳はない)」
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160829#1472467398
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160829#1472467402