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Yahoo!やGoogleが強いのも、共同体意識が強い中国系やユダヤ系の考え方が、バックボーンにあるからです - 「賢人論。」第21回(後編)宮台真司氏

大規模定住社会におけるさまざまな制度というのは、小さな共同体が自分で解決できない場合のための、あるいは、それを補完するためのリソースを提供するという本義があるわけ。つまり、自分たちでできることは自分たちでやって、それでできない場合にひとつ上の層に、その層でできなければ、そのまたひとつ上の層で制度化して、というもののはず。そう考えれば、やはり基本は小さな共同体であるべきで、それを一人ひとりが自覚しなければ不安の解消にはつながりませんよ。

日本の場合、小学校区っていうのは明治5年の学生改革以降の、明治政府の考えた、行政初動の自治を貫徹させるためのものです。だから、日本で共同体としての意識を巻き直そうとするならば、小学校区単位から始めるのが一番合理的なんですよ。

広いマンションに住むよりも狭い戸建てに住むほうが、社会的には意味があるんですよ。


戸建てに住むと、ゴミ当番や自治会費の回収など、生きていくだけで当番だらけなわけですよ。長期で海外出張に行くときなんかは、「何かあったらお願いします」なんて頼み込んで、帰ってきたらお土産を配りまくって。でも、それで人間って仲良くなっていくんですよね。地域社会を健全に回すためにも、これは重要なことで。

再配分主義=リベラルが難しいとすると、今、求められている新しい理想形というのは、どのような形になるのでしょうか?

日本がこんなふうにバラバラになったのは、“弱者意識”がなくなったからだと言えます。その境目は1964年、前回の東京オリンピックだというのが定説で、そのときの世論調査を見ると、国民の意識が変わったんですよね。指標はふたつあって、ひとつは「日本はアジアの一員なのか、西側の一員なのか」についての考え方が、1964年を境に日本は西側の一員だっていうのに変わった、と。


ふたつ目は、「国民的英雄は誰か」という問い。それまでは敗軍の将として英雄視されてきた西郷隆盛だったわけですが、1964年を境に、それまでまったく無名だった坂本竜馬が国民的英雄になった。これは、作家の司馬遼太郎が文明開化の立役者として持ち上げたことにも起因しているわけですが。

人間というのは、そもそもエゴイズムに寄ると動機が続かない生き物なんですよ。例えば中国人やユダヤ人は、血縁共同体の支援を受けて留学もするし、国際的なネットワークに乗り出していきます。その血縁のネットワークに埋め込まれ、したがって背負い、であるがゆえにリターンを返そうと思って死ぬほど頑張る。そうした強い動機付けをもっているんですよね。


こうした人間が強いのは、利他性をもっているからなんですよね。自分の仲間のためにリターンを返す。自分がへたれたら自分が損をするだけだけど、自分がへたれたら家族や仲間が困るとなると頑張るわけ。だから、グルーバル化に強いのは中国系とユダヤ系。それは今後も変わらないでしょう。

グローバル化のもとでは日本人の生き残り確率は、もともと非常に低いと考えざるを得ません。このままではね。ではどうすれば良いか?それは、長いスパンで考えて初めて見えてくる問題です。歴史上、小手先の制度をいじくり回して生き残れたところはほとんどありません。だから、日本人が長い間、時間をかけて培ってきた習慣に基づいてできたしきたりや掟を、どのように心にもっておくか。基本的にはそこだと思います。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151005#1444042624