朗読やアナウンスやナレーションにも「巧言令色鮮し仁」はあてはまる。言葉はそもそも自分の感情や意志や思想を確認するためのものであった。その基礎を失ったときに、ことばは個人の責任からはなれて、お体裁になっていく。そんなことばで日常の多くの「コミュニケーション」が成り立っているわけだ。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2016年9月29日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160928#1475058883
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160926#1474886935