日本の演劇は、〈言葉〉というものに「頼っていて、抽象概念とか、全体の構造の中で、自分がどういうところに位置しているとかいった考え方を、ほとんどやらない」言葉でも「〈音声〉として持っているべきところの微妙なリズムや、ダイナミックスの意味すら、あまり重要とはされていない」(三宅榛名)
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2016年10月22日
私たちは「きれい」と思われる画像を見せられ、「きれい」と思われる声を聞かされている。この「きれい」がくせ者だ。画像そのものや声そのものより、そのメッセージが意味を持っている。声の表現ならば背後の感情と行為としての声に意味がある。表現の効果は上っ面にはない。表現は裏から発せられる。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2016年10月22日