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オーストリアの大統領選挙は、日本時間の5日未明から開票が始まり、現地の公共放送は、緑の党の出身のアレクサンダー・ファン・デア・ベレン氏が、右派政党、自由党のノルベルト・ホーファー氏を破り、勝利を確実にしたと伝えました。


開票作業は現在も続いていますが、内務省が日本時間の午前4時前の時点で発表したところによりますと、ファン・デア・ベレン氏が51.7%、ホーファー氏が48.3%をそれぞれ得票しています。


ファン・デア・ベレン氏は支持者の前に姿を見せ、「すべての国民にとっての大統領になりたい」と勝利を宣言し、一方のホーファー氏もすでに敗北を宣言して国民の結束を呼びかけました。


今回の選挙では、ヨーロッパに押し寄せている難民や移民への対応が争点となり、当初は、排外的な主張を掲げ国内外から、極右と指摘されてきた自由党のホーファー氏が支持を伸ばすと予想され、欧米のメディアは「EU=ヨーロッパ連合で初めて極右の国家元首が誕生する可能性がある」と伝えていました。


しかし、投票日に行われた世論調査では、有権者の多くが自由党の台頭に強い危機感を抱いて投票したと答えており、ファン・デア・ベレン氏がホーファー氏に競り勝つかたちになったと見られています。

オーストリアの右派政党、自由党は、1956年にナチスの元党員によって設立された政党です。ナチス・ドイツのようにドイツ民族による統一国家の設立を求めていたことから、極右の政党として警戒されてきました。


自由党が国民の幅広い支持を得るようになったのは、1986年にハイダー氏が党首になり、既存の政治に対抗する姿勢を鮮明にしてからだと言われています。


自由党は、1999年の国会議員選挙で第2党に躍進し、その翌年には、中道右派の国民党とともに連立政権を形成しました。これに対して、当時のEU=ヨーロッパ連合は、極右勢力が参加する政権が自由や人権を尊重するEUの精神に反するとして、オーストリアとの公式な接触を断つなどの措置をとりました。


自由党はその後、再び野党になりましたが、ここ数年、地方選挙で躍進し、難民や移民への対応が国民の大きな関心事になる中、ことし5月に行われた大統領選挙の最初の決選投票では、ホーファー候補がファン・デア・ベレン氏におよそ3万票差まで迫りました。


自由党は、みずからを極右ではないと主張していますが、オーストリアナチス・ドイツの歴史を研究するドキュメンテーションセンターでは、自由党が極右団体と関係をもち、社会のすべての問題を人種や民族間の問題と説明している点などを挙げ、ナチスの思想を受け継いだ極右政党だとして、警戒を呼びかけています。


センターのワイディンガー博士は、「自由党は排外主義を『国のアイデンティティーを守る政策だ』と言いかえ、多くの市民から極右と受け取られないようにしている」と指摘しています。
そのうえで、「多くの市民が、20年前なら極右と警戒した発言や主張を、普通のものとして受け止めるようになっている」とも指摘し、自由党が支持を広げている背景には、社会が右傾化している実情があると説明しています。

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