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 このまま推移すれば、これまでの誤った歴史知識や歴史認識が自ずと修正されていくはずなのだが、こと日本に関してはこれまで過去に遡(さかのぼ)って時間軸を引き、それに沿って史実を検証するということを全く行っておらず、自分たちがどういう種類の歴史知識や歴史認識を身につけているか、そのこと自体が分からないのである。


 そのことを思うと、やはり最初に、薩摩長州新政権が俗にいう「明治維新」について、この百五十年弱、どういう解釈を社会に押しつけてきたかを、そのコンセプト部分だけでも繰り返し整理しておく必要があるのだ。

 枢要(すうよう)なことは、私たちが教えられ、現在も公教育が教える歴史観によれば、この明治維新が欧米列強による日本の植民地化を防ぎ、明治維新があってこそ日本は近代化への道を歩むことができたとされてきた点である。


 薩摩・長州藩士を中心とする「尊皇攘夷」派の「志士」たちが、幕府や「佐幕派」勢力の弾圧にも屈せず、「戊辰(ぼしん)戦争」で見事に勝利して討幕を成し遂げ、漸(ようや)く日本は「近代」の扉を開き、今日の繁栄があるとするのだ。


 そして、陋習な社会を支配してきた封建的な江戸幕府を倒し、近代日本の幕開けである「維新」を成し遂げた功労者が、長州の吉田松陰桂小五郎木戸孝允<たかよし>)、高杉晋作山縣有朋(やまがたありとも)、伊藤博文井上馨、薩摩の西郷隆盛大久保利通、土佐の坂本龍馬板垣退助後藤象二郎肥前大隈重信江藤新平たち、所謂(いわゆる)「薩長土肥」の下級武士たちであったとする。

 学者は、以上の一つひとつの単語や固有名詞についていろいろ異議を差し挟むだろうが、ここでは大意が必要であり、以上がこの百五十年弱、この社会に定着してきた明治維新のコンセプト部分であるとして、まず問題はない。


 誠に美しい歴史観であるが、私は、以上のほぼすべてを、既に否定している。


 この場合の否定とは、史実ではないという意味である。