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早稲田大学文科省官僚天下り問題と学の独立 - ある教育学徒の雑記

早稲田大学は、老侯大隈重信の意志を継ぎ、「学の独立」をその第一に掲げて1882年、開校された東京専門学校をその前身とする。早逝の天才小野梓は開校の挨拶で、「「一国の独立は国民の独立を基礎とし、国民の独立はその精神の独立に根ざす。そして国民精神の独立は、実に学問の独立による。ゆえに、国の独立のためには民を、民の独立のためにはその精神を、そして精神の独立のためにはまず何よりも学問を独立させなければならない」と延べ早稲田の杜の歴史は始まった。世に名高い「学の独立」の思想は2つ、一つは「政治権力からの独立」でありもう一つは「外国語に頼り切った専門研究姿勢からの独立=母国語教育の推進」によって構成される。当時の「大学」すなわち東京帝国大学に対抗する形で、文理に渡る総合的な学問の場として開かれたのが早稲田である。


建学から135年が過ぎた。早稲田は、随分前から体制寄りと名高い大学である。「学」は独立せず、狭隘なる社会のための「実益」とやらしか求めない大学となって久しい。国に寄っかからず、自らの足で立って自らの志す教育を行おうとする姿勢は残念ながら伺えない。鎌田総長は挨拶の中で「学生目線で」などと言うが学生の方など全く見ていないことは明白である。少なくとも気概は感じない。

早稲田は、講義録により生計を立てなくなってからこの方、一貫して見栄ばかり気にする国立の従属大学でしかなくなっている。なら学費の安い国立でいいに決まっているのだ。無論気概のある教授はいて、早稲田文化を継承する学生もいる。しかし教授の思想は間違いなく統制され、早稲田文化も望まれる一部ばかりが偏重される。それでも早稲田は日本1の私大であるし、やり直そうと思えばいつでもやり直せるはずなのだ。

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