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 まず、「意識が高い」ことと「意識高い系」は違います。「意識が高い人」というのは、政治や社会問題に熱心に取り組んでいる、考えているという「大義(本書では”高次の大義”と呼んでいます)」に、自分の欲望よりも多くの按分を割き、その大義を部分的にでも達成するのが「意識が高い人」です。彼らは他人のために本気で汗を流し、本気で自己研鑽に励んでいます。

「意識高い系」とは、彼のような意識が高い人を、そうはなれない人が斜に構えて茶化すための言葉でなく、意識が高い人の「ふり」をする中途半端な人のことです。「高次の大義」が薄っぺらく、その裏に隠された欲望が透けて見える人のことですね。この場合の欲望とは、主に他者からの承認や異性からモテること、などです。

 要するに、真の強者はアピールなんかしないんです。SNSで自分がいかに派手な生活をしていて人脈も豊富で社会貢献にも関心があることを盛んにアピールする人間は偽物です。自明のことは表明されないからです。

 というのも、ほかならぬ僕自身が元「意識高い系」で、もともとその素質があると自覚しているんです。だから「意識高い系」とされている人たちの立場に立ったときに、どうして彼、彼女らが周りの承認を求めるのかが非常によくわかりました。


 この本は「意識高い系」の“研究”ではありますが、4割は僕の“自伝”といってもいい。自分自身に置き換えて、「意識高い系」とは日本の戦後の社会の根本的な歪みみたいなものが生んだ被害者なのではないか、という考えに至った時、2ちゃんねるまとめサイトで、ただ嘲笑や揶揄の対象として消費されるだけではかわいそうで、きちんと研究しないといけないと思いました。

――古谷さんの出身地は北海道で、大学は京都の立命館大に進んだんですよね。


 北海道という土地自体、その住民は主に明治以降に内地からやってきた移民の集合体で、代々土着の民の影が薄いところです。しかしながらそこでも、スクールカーストという天然的な要素が反映する階級化は進んでいく。僕は中学でも高校でも、その階級の中でトップに立つことができなかった。よって生まれ育った地元とはまったく別の土地に行くことで、土地に立脚した人間関係を清算し、ゼロから出発するグレートリセット、いわゆる「大学デビュー」に憧れたのです。しかし、完全に失敗しましたね。

 理不尽です。でも、親から受け継いだ土地、つまり相続された土地の上で蓄積された、一言で言うと「余裕」にはどんなに頑張ってもかなわない。長い時間の積み重ねで、その人の立ち居振る舞い、真の意味での社交性などが醸成されるので、かなわないのは当然なんですよね。


リア充とは親から受け継いだ「土地」を苗床とする物心両面で余裕のある存在・社会階層のことをします。必ずしもリア充=恋人の有無、ではありません。

 本来、嫉妬から超克するためには額に汗して努力したり、本を読んで勉強するしかないわけですが、「意識高い系」の人々は勝利や成功の部分だけをトレースし、汗臭い努力を忌避したり、あるいはそういった努力をする人自体を見下す傾向にあります。彼らは努力で以て本当の支配者になることもできない中途半端な人々だからです。中途半端な連中ほど他者を見下したり、比較したがりますね。

「意識高い系」の人は、本当の「意識高い人」ほどの基礎教養や行動力がなく、中途半端だから「系」という「意識が高い人もどき」になってしまう。


 中途半端な部分を埋めるには、無言実行ですね。自分の汚い部分、醜い嫉妬の部分を直視して、努力すれば、自然と彼らが求めてやまない「承認」がついてきて、「系」が取れるんです。手っ取り早い方法などはありません。

ジョブズビル・ゲイツやバフェットはいちいちお手軽承認に走りません。彼らの残した偉大な結果が、彼らを尊敬の対象に導いたのです。額に汗し、地道な努力を続ければ、必ずや承認されるでしょう。それをSNSで代替してはいけない。

「意識高い系」は承認されていないからものすごく寂しいんです。嘲笑されると彼らはディフェンスに入り、ますます承認を求めて燃え上がります。


 それに、意識高い系の人を嘲笑している人は、同属だったり、「意識高い系」の人よりもっと底辺の人が妬んだりしているのだと思うんですよね。


 だから、無理しなくていいし、「君の本当に好きなことやりなさいよ」と言ってあげたい。

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