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日日是好日 - Wikipedia

そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ

日々是好日 | 禅語を味わう || 黄檗宗 少林山達磨寺

一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。
しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。
それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。
日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。

禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。

築山殿 - Wikipedia

永禄3年(1560年)5月19日の桶狭間の戦いにて伯父の今川義元が討たれ、元康(元信から改名。のちの家康)は岡崎に帰還することとなった。永禄5年(1562年)3月、父の親永は娘婿である家康(元康から改名)が織田信長と同盟を結んだ事で今川氏真の怒りを買い、正室と共に自害した。築山殿は、今川義元の妹の夫である上ノ郷城城主・鵜殿長照の2人の遺児との人質交換によって、駿府の今川館から子供たちと共に家康の根拠地である岡崎に移った。

郷土の三英傑に学ぶ

織田軍の追撃が岡崎にまでいたり、ついに家康のいる大樹寺をとり囲みます。もはやこれまでと前途を悲観した家康は大樹寺松平家の祖先の墓前で自害することを決心します。
しかし、この時、大樹寺住職、登誉(とうよ)上人が家康に語りかけます。


「家康殿、戦国の世は、武士が自分の欲のために戦い、国土が穢れている。その穢土を厭(いと)い離れ、永遠に平和な浄土を欣い求めて、それを成すことが、あなたの役目である。」

月日が流れ、元和元年、大坂夏の陣豊臣氏が滅亡し、ついに戦闘が収まりました。これを「元和偃武」と言います。「偃武」とは、武器を伏せて用いないという意味で、戦国乱世にピリオドを打たれたという意味です。