物事の真贋というのは、思惑とかエライ人の顔色だとかと無関係に存在する。そういうことが本当にわからないらしい人、を見かけるたびに、教育の不毛を思わざるを得ない。例えば逆二乗法則を説明して「すごい自信ですね」といわれても、たんに苦笑するだけでありまして^^;
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年6月7日
ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』を出す以前に微分積分学の基本定理を証明し、微分積分学を創始するに至っているが、『自然哲学の数学的諸原理』ではそれらの結果を放棄し、あるいは露わにはしていない。ニュートンの時代にはまだ微分積分学で用いられる無限小の代数は正統的な手法とは見なされておらず、ニュートンは幾何学の手法によって力学の基本法則やそこから導かれる定理を説明した。
全巻を通して数学的な道具としては原則的にユークリッドの『原論』を用いている。さらに展開の形式も『原論』を踏襲しており、公理論的な形式を採用している。最初に公理を示し、その公理を使って証明するというやり方で進んでいく方式である。
当時、研究が進み始めていた微分・積分は用いず、できるだけユークリッド幾何学だけを用いて解説しようとしたため、非常に大部の著作になっている。これは、微分や積分などでプロイセンのゴットフリート・ライプニッツらとその内容(絶対時間)や表記法などで争っていたためと推測されている。ニュートンとライプニッツは時間の捉え方でも空間の捉え方でもしばしば見解が根本的に相違し、激しく衝突していた(空間の記事も参照のこと)。ただし、一部ではあるが代数解析を用いている箇所が無いわけではない。
第三巻で示された世界観はキリスト教擁護のために活用された。ニュートンの友人のボイルの遺産をもとに行われるようになったボイル・レクチャーズ(en:Boyle Lectures)という一連の講義において、自然(宇宙)が数学的に秩序立っていることをプリンキピアを用いて説明し、それにより神が存在していることが説かれた。
第二巻の「抵抗のある媒質中における物体の運動」は、内容が内容であったにもかかわらず用いられた数学的道具がユークリッド幾何学だけであったことにより説明不足となっていた面もあった。大陸側ではライプニッツの数学的手法を継承する自然哲学者たちがおり、ニュートンがプリンキピアで用いた数学的手法をライプニッツ流の微分積分学で書き換える作業を行った。これにより、第二巻の「抵抗のある媒質中における物体の運動」は当初ニュートンによって書かれていたよりも、かなり厳密に説明されるようになった。
18世紀にはラグランジュがニュートン力学の後の力学の発展を総合し『解析力学』(1788)にまとめることになった(解析力学。ラグランジュ力学)。
十河 清 著
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170606#1496745344
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151123#1448274865
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150420#1429526228
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150216#1424083036
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150112#1421059156
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141224#1419417955
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141204#1417689487
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141107#1415356830
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140514#1400063835(ヨーロッパでは16世紀から「大学者の時代」といえるほど著名な学者を多く輩出していきますが、こうした学者達は、皆、聖書の研究者でもあるんです。)
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