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宮田秀明の「プロジェクト7か条」|第7回 ふと、若手研究者に対して思うこと

私は大学で「一石三鳥」を常に意識している。三鳥とは、「教育」と「研究」と「社会貢献」である。

企業は価値を社会に普及するための仕組みであり、大きな価値を生み出すことが何よりも大切である。技術系学部の若き卒業生には、価値創造で大活躍してほしいのに、企業を存続させるための仕事に時間を取られてしまう。「何とか黒字でやってます」という技術系ベンチャーの若い経営者の言葉を素直に喜べないのは、彼らの後ろにそうした現実が透けて見えるからだ。


さらこの政策の問題点は「大学院の博士課程」における課題とオーバーラップする。東京大学を例に取ると修士課程に入るためには厳しい競争があるが、博士課程は定員割れが常態となっている。博士課程の卒業生の採用を公式に拒否する企業が少なくないことが要因の1つだ。


だが、もっと大きな原因は産業界以上に大学側にある。


多くの場合、博士課程に進学した学生は、教授や助教授の助手のような研究者として研究に勤しむ。すると修士課程と合わせて5年間、1人の教授や助教授にだけ従って、研究室というタコツボに引きこもることになる。活躍の舞台は学会という、これまた社会から隔離された所である。こうした状況下で画期的な技術の誕生も、社会に役立つ人材の育成も、期待する方が無理というものだ。


これに対し、欧米の大学における博士課程の学生には、タコツボとは違う複数の選択肢が用意されている。

彼らが日本企業を選ばなかった理由:日経ビジネスオンライン

 実は、私の研究室には博士課程の学生がいない。私が進学を勧めないからである。早く社会に出て、その後で博士号の取得を目指した方がいいと説明している。だからチームを構成するメンバーは、学部の4年生と修士課程の学生ばかり。企業で言えば、入社2〜3年目までの若手社員で構成されたプロジェクトチームである。


 こうした社会をほとんど知らない学生集団でも、新しいビジネスモデルの創出に成果を上げつつある。研究テーマの3分の2ほどが産学連携プロジェクトだ。企業と一緒に現場から始まり、現場で終わるプロジェクトを経験することで、若い学生たちは乾いたスポンジが水を吸うように見違えるように成長する。


 人を育てるためには、権限を与え、責任とリスクを負わせ、成功に対してインセンティブを与えることが基本である。日本型企業では、人が最も成長する20〜30代に定型的な仕事に張りつけたままにしたり、権限やインセンティブも与えないまま責任とリスクだけを負わせるような実態が多くはないか。だから、優秀な学生ほど、日本型企業に見切りをつけ、外資系企業やベンチャー企業を目指す。社命留学でMBA経営学修士)を取ってきた優秀な人材が離職するのも同じ理由だろう。

縮みゆく大学経営:日経ビジネスオンライン

 法人化した時点では、特任教授というポストを設けて、民間の方々に門戸を開いて大学で教育や研究をしていただけるようにした。この効果は大きく、民間企業で活躍された方々が若い学生たちを教えることのメリットは計り知れない。私の周りには、そんな特任の先生方がたくさんいらして、学生だけでなく私たち教員の成長の糧にもなってきたと言ってもいい。


 それなのに「特任の教員も博士の学位を持っていること」「週2日以上大学に出勤すること」などといった運用ルールを定める動きが進みつつある。大学で教育活動に携わってほしい民間で活躍された方は、多忙を極めてきた方だから、博士号を持っていないケースがほとんどだ。大学のためには週1日しか割けない方も多い。大学に必要な人を排除するような運用を進めるべきではないだろう。


 工学部でよくある人事は、国や企業の研究所に勤めている35〜40歳の方を大学に転職させるケースだ。成功例も多いが、失敗例も多い。このような方は大学で博士号を取得し、ずっと研究の世界にいて、学界のことしか分かっていないことが多い。一般社会という現場を知らないことが大きなマイナスになっている場合が目立つのだ。研究テーマの選び方を間違えたり、研究発表ですべてが終わったと考えてしまったりする。


 だから、修士課程卒業で民間経験のある方を、30歳ぐらいの若い段階で大学へ転職させ、その後で、博士の学位を取らせ、次のステップに進む形の人材育成プランの方が、成功確率が高いことが多い。

サン・テクジュペリが示唆した自然・人間・技術の関係:日経ビジネスオンライン

 私は作者サン・テクジュペリのファンなのである。彼の代表作は「夜間飛行」「南方郵便機」「人間の土地」だと思う。中高生の時代、私はけっこう文学少年だったので、たくさんの本を読んだ。しかし、彼の「南方郵便機」は、タイトルに惹かれて読んでみたものの、何の感動も覚えなかった。理解できなかったのだ。ところが大学生になって工学の道を選んだころ改めて彼の本を手にして、大きくて大切なものをつかんだ気がした。


 「そうだ、私が目指していたのはこの世界だったのだ。」


 工学とは、自然と人間を科学と技術で結ぶ仕事なのだ、ということを悟った瞬間だった。

日本の技術経営力に陰りが見える:日経ビジネスオンライン

 研究開発は次の4つの段階を進めなくてはならない。研究(Research)・開発(Development)・実証(Demonstration)・普及(Dissemination)である。

先行する研究者を追いかけるだけ、もしくは、真似に近い研究になってしまうことも少なくない。学会や学術誌で発表される研究成果のうち95%以上はそんなものだと言っても言い過ぎではないだろう。本当に創造的な研究を行うのはたいへん難しいことだ。

 研究をして論文を書いただけではほとんど何の意味もない。具体的なモデルとして開発し、その有効性を実証し、実際に社会普及させるのが工学つまり技術経営の役目である。理学の世界とは根本的な違いがある。

 私は大学で過ごした35年間、ほとんどすべてのテーマにおいて研究して論文を書くだけで終わらせなかった。必ず4つの段階を実践して、最終的に社会に役立ちたいと思ってきた。

学士院賞の受賞は産学連携の賜物:日経ビジネスオンライン

 学士院賞を頂くことになった。正直言って、本当にうれしい。私がふさわしいのかどうか分からないが、実はこの賞だけは欲しかった。純粋に学問的業績を表彰する賞だし、学問の世界における国内では最上位の賞だ。毎年9人の人が選ばれる。工学部門はそのうち1人なのだから本当に狭き門である。


 おまけに恩賜賞も頂いた。工学部門の受賞者が恩賜賞を頂くことは稀なことだそうだ。きっと業績内容が分かりやすかったのだろう。世の中には私より優れた業績を上げた方も多いと思う。受賞できたのは、業績はもちろんだが、幸運も少なくなかったと思う。

Stay hungry, stay foolish:日経ビジネスオンライン

明治時代、終戦から1970年代まで、日本国民は世界一hungryでfoolishな国民だったと思う。明治の困難を乗り越え、敗戦後も見事に復興できたのは、hungryでfoolishな人々がたくさんいたからだ。


 残念ながら今日の日本を見ると、団塊の世代から大学生まで、おしなべてhungryさとfoolishさが弱いと思う。そこそこの豊かさに満足している。新しいこと、難しいことに挑戦しようという意欲が感じられない。これは年齢や立場によらない。


 企業を見ても、hungryとfoolishな気持ちが経営者から感じられないことが多い。社員の方々も同じだったりする。トップにhungryでfoolishな気持ちがないようでは、何も始まらない。また、トップだけがhungryでfoolishでも、誰もついて来なければ何も始まらない。だから、リーダーシップは難しいのだ。

 Hungryが意味するのは、今の企業、今の自分の姿に満足しないで、企業を成長させ、自分を向上させようとする意欲のことだ。もっともっと高くて広い可能性を信じ、その広大な可能性を前にして自分の小ささを自覚することからすべては始まる。


 このコラムを書き始めて1年余りたった頃、ある読者の方から「いい年をして青二才のようなことを言っている」という趣旨の辛口コメントを頂いた。私は次の回で激しいぐらいに反論した。「私はいつまでも青二才でいたい。いつまでも新しいことに挑戦したい」。


 もう60歳を超えた。東大という最高学府で35年間研究教育活動を続け、2011年は学士院賞・恩賜賞を頂いた。しかし、気持ちは全く変わっていない。私は、まだまだ挑戦する青二才のままだ。

 Hungryとは、現状に満足しないで挑戦する心だ。挑戦するならば、創造的なものに挑戦したい。創造するための準備作業として、現状を破壊する活動が必要な時も多い。だが、それは前哨戦にしすぎない。


 最近の企業変革活動を見ると、破壊のステージでは成功するものの、創造のステージで成功しないケースが多いようだ。新しい商品戦略や新しいビジネスモデルへの転換が中途半端なのだ。これも創造的なことに挑戦するhungryさが弱いことが1つの要因だろう。業績不振が目立つエレクトロニクス産業にもあてはまることかもしれない。


 そして、Hungryな気持ちだけでは何も始まらない。ビジョンを持ち、コンセプトとモデルを創造することに苦しまなければならない。