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不破哲三日本共産党前議長

 安倍晋三政権の空虚な言葉の背景には、政治に対する真剣さの欠如がある。国会での質疑や記者会見は、野党議員や記者の後ろにいる国民を意識して語りかける場だ、という真摯(しんし)な姿勢がない。講演や身内の集会になるとなおさらだ。「何を言っても平気だ」という意識が、失言や暴言を生んでいる。

 僕は55年体制下の1969(昭和44)年の衆院選で初当選し、その後、党書記局長として、歴代首相と多くの国会論戦に臨んだ。当時の自民党の首相は、もっと国会の討論を大事にしていた。


 たとえば田中角栄元首相。自らの政治の弱点を野党に突かれた時も、そこに重大な問題があると思えば、逃げずに機敏に対応した。


 74(同49)年の衆院予算委で、米原潜の放射能測定データの捏造(ねつぞう)を追及した時には、首相自身が「万全の体制をつくるべく全力を傾けたい」と答弁。新しい測定体制が確立するまで、183日にわたって原潜の日本寄港を停止させた。二十数年後に米政府の公文書公開で分かったことだが、キッシンジャー国務長官(当時)から「この事態は日米安全保障条約の重要部分の廃棄に匹敵する」など強硬な抗議が寄せられていた。それでも体制確立まで頑張ったわけだ。


 福田赳夫元首相には78(同53)年、米軍が千葉県柏市に設置を計画した「柏ロランC基地」について質問した。原子力潜水艦が自らの位置を測定するための基地で、米国の軍事文書には「核戦争になれば真っ先に攻撃される」と書かれていた。このような基地を首都圏の人口密集地に置くことの是非をただすと、福田氏は「よく調査して決定する」と答弁。基地は1年後に撤去された。


 どんなに激しく対立しても、当時の自民党は野党の指摘にも対応する姿勢があった。安倍政権が沖縄県普天間飛行場移設問題で「辺野古が唯一の選択肢」として耳を貸さないのとは大きな違いだ。


 そう言えば、当時は折に触れて与野党の党首会談があった。特に日米首脳会談などの重大な事案がある時は、歴代首相は野党党首とも事前の意見交換をした。そういうゆとりも、今は失われている。


 70年代は国民の支持率で自民党は今よりはるかに強かったが、国会での論戦にはそれなりに真剣な対応をした。政権党に不可欠の、国会と国民に対する誠実さの欠如が、安倍政権の言葉の乱れ、政治姿勢の乱れを生んでいるのではないか。


やがてこうした瞬間が訪れると私はかねてより強く信じていた。「政治主導」というスローガンを掲げ勇ましいのは良いが、その実、自分自身の保身のため利権構造を造り続けるこの国の政治家に対する官僚たちの造反の時、である。それがいわゆる「加計学園」事件で一気に噴き上がった。私にとっては正に「想定内」の展開だ。

性悪説の人」菅義偉官房長官は中央省庁で働く高級官僚たちの人事権まで奪ってしまったのだ。

もっともこうした一連の措置によって我が国の国家行政が少しでもより公正に、かつ先見性があって「意味」のあるものになったのだとすればそれはそれで有意義だったのかもしれない。しかし単に「円安誘導による我が国における資産バブル展開」に過ぎなかった通称「アベノミクス」の大失敗が誰の目にも明らかである中、今私たちがすべきはその元凶はどこにあるのかを突き詰めて行うことなのである。

安倍晋三総理大臣は自ら第2次政権を発足させるにあたってそうした自らの亡き父の「原点」に立ち返ることにした。自己のチームにおいて徹底して「経済産業省関係者だけ」を優遇する措置を講じたのである。端的に言うならば個別の案件について自らが判断することは止め、通称「今井天皇」を筆頭とした経済産業省関係者に全てを委ねたというあけなのである。

各省庁は全て「設置法」に基づく所管業務が決まっており、その延長線上に実経済との接点において「利権」を抱えている。そして「ポストの数よりも同期の数が多い」という採用人事が継続して行われる結果、早期退職が当然視されている以上、これら利権へと天下ることによって将来の生活は確保されているという状況があるからこそ、国家官僚たちは日々の激務をこなしてきたという経緯があるのである。

元来、「政治」が介入すべきなのはこの瞬間からである。無論、「大方針」は政治リーダーが出すべきである。だがそれとて大所高所の発想だけで良いのである。我が国のベスト・アンド・ブライテストである官僚諸兄は正にそこから”忖度“をして政策の細部を仕上げる術を知っている。日常的には行政マンたちに任せておけば良いのである。

私は今回、前川喜平・前文部科学事務次官の「糾弾」によって露呈した我が国政治の本当の病巣はここにあると見ている。「安倍一強」と言われているが、全く持ってそれはそれはハリボテなのであって、その実、「性悪説から逃れられない地方議員上がりの小心者」による恐怖政治と「娑婆のマネー・フローを全く知らず、出来ることといえば虚栄心に基づく利権づくりだけである経済産業官僚たち」による”霞が関の常識“の破壊でしかそれはないのだ。

通称「横田幕府」との異名をとる米国勢からの強い影響力行使で知られる我が国を代表する週刊誌が、前田喜平氏が頻繁に会っていたという若い女性とのインタヴュー記事を掲載した。そして真実は「霞が関という”特殊地域”の向こう側で閉塞する娑婆の真実を知りたい」ともがく高級官僚の姿でしかなかったことが判明したのだ。

本来ならば「黙して語らず」がルールであるはずの国家官僚たちがいよいよ叫び始めた。これは下級武士たちの一斉蜂起によって始まった「明治維新」にも似た”革命“の始まりである。いよいよ「その時」が来たことを感じ取ることが出来ない政治リーダーにはその座に”恋々とする“資格など一切ないのである。自ら即座にその座を辞するべきである。さもなければこれから起きることはただ一つ、その実、我が国の本当の”権力の中心“と相通ずる「横田幕府」による政治的(かつ時に生物学的)な”天誅“だけである。

#政界再編#二大政党制