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 落語を誰に聞いてほしいかと問われると歌丸の目が変わった。「日本全体、あるいは海外からの人にも聞いてもらいたい」。そこには、体一つで高座に上がり続ける落語家としてのプライドがあった。「日本語っていうのは日本の文化。その文化を1番、使っているのが、我々、噺家だと思いますよ。それも笑いに持っていっている」と思いを語った。


 その上で「失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな」と、アキラ100%のお盆で隠すネタをバッサリ。


 続けて「ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」と静かに熱く語った。「ちょっと望みは大きいかもしれないですけど、そういう気でいます」と80歳にして抱いている壮大な夢を明かした。


 また、入院中に落語の魅力を改めて感じたという。「病院でじーっと落語を聞いているとね、ホントにいいもんだなと思いましたね」としみじみ。続けて「落語はしゃべるもんじゃなくて聞くもんだ」とぽつり。笑点メンバーを笑わせていた。

#お笑い

しんに【心耳】の意味 - goo国語辞書

しんじ。

「まず―を澄まして聴聞あれや」〈露伴・日ぐらし物語〉

幸田露伴著・日ぐらし物語 マルジナリア

図書カード:ねじくり博士

実にネ、大発明というものはつまらない所から起るもので、僕の大真理は道から出たのサ。

所が何も障害物のない広い野だのに、道が真直についていないのサ。道が真直についていれば早く到着するのだのにサ。君も知ているだろう、二点の間の最も近きは直線なりという訳サ。所がヒニクに道路が曲りくねッてついているのサ。爰だテ、なぜ道が曲ッてついているのだろう。これを研究したらば誰も真理を発明するのサ。余程面白い事だぜ、君も試に考えて見玉え。これが大真理だよ。

僕はそれからなぜだか分らないから頻りに宇宙を見たのサ、道は曲ッてついている、真直にすれば近いものを態と迂曲て人のあるく所が妙じゃないか。そこで僕はなぜねじれているのだろうとおもッたが、不思議なもので皆ねじれてるよ天地のことは。

君が幾何学的思想に富んでいれば直に分るのサ。どうもマセマチカルの考えの薄い人は中々奥妙の理を急に会得する事が難いよ。ダカラ希臘の哲学者はまず哲学を学ぶ前に数学をやれと弟子達に教たのだよ。この頃世間に哲学臭い事をいう奴が多いが、叩いて見ると皆数学思想が薄弱だから困るよ。これは日本支那の通弊サ、数学的観念が発達しない人間は馬鹿馬鹿しい事を考えるものだよ。論理学なんぞは学ぶに足らないのサ、数学で沢山サ。

物は或勢力に逐いやらるる時は螺線的運動をするという真理は、すでに充分に分ッたろう。これは中々争うことの出来ない真理さ。しかも物理学上の明晰なる理だよ。イイカネ、例に挙げたものを能く能く考えて貰いたいのサ。ひとつもこの原則に撞着矛盾するものはない。ソコデ何故に物はかく螺線的運動をするのだというのが是非起る大疑問サ。僕がこの疑問に向ッて与うる説明は易々たるものだよ。曰くサ、「最も障碍の少き運動の道は必らず螺旋的なり」というので沢山サ。

動力学と静力学を君が知ていると、もッと早く分らせることが出来るがネ。早くいッて見れば空漠として広い虚空の中に草の蔓は何故無法に自由自在に勝手に這い回らないのだろう。ソコニハ自然の約束があるから即ち一定の有様をなして、左り巻なら左り巻、右巻ならば右巻でちゃんと螺旋をなして這いまわるのだ。虚空に抵抗物は少いのだが斯くなるこの自然の約束を万物の上から観破して僕は螺旋が運動の妙則だと察したよ。

ここで万物死生の大論を担ぎ出さなけりゃならないが、実は新聞なんぞにかけるような小さな話しではなし一朝一夕の座談に尽る事ではないから、少しチョッピリにしておくよ。一体死とはなんだ、僕は世界に死というような愚を極めた言語があるのが癪にさわる。

この世界は活世界だぞ。いつでも勢力が漲ぎッている天地だ。太陽が鼾をかいて寐たためしはない。月も星も山も川もなんでも動いていないものはない。凡眼で静かだと思う石だッて、常に破れかかるか変りかかッているくらいのものだ。その世界の中に死なんという馬鹿馬鹿しい事があるものか。

一体全体何んでもドンゾコまで分ッてる世界ではない。人間の智慧でドンゾコまで分るものだかどうだか知れないのサ。人間の智慧という奴が無限だか有限だかも人間の智慧では分らないから可笑いのだよ。人間の智慧が無限ならば事物を解釈し悉せるように思うだろうがこれもあやしいのサ。気の毒だけれども誰も人智の有限と無限とを智慧の上から推して断定のできるものはまず無さそうだ。

僕にいわせると「発生の機は螺線的運動にあり」というのサ。なんでも物の発生するというのは君も知ッている通り「力」の所為サ。その力で逐いやらるるものは則ち先にいうた原則で必らず螺旋的に動くのサ。ソコデこの螺線的運動は力のある限りは続くのだ。何故螺線的運動をするかというに、世界は元来、なんでも力の順逆で成立ッているのだから、東へ向いて進む力と、西に向て進む力、又は上向と下向、というようにいつでも二力の衝突があるが、その二力の衝突調和という事は是非直線的では出来ないものに極ッてるのサ。所で互に曲線的になるのだよ。曲線的ならば衝突してもよいのサ。何故というに、一直線上で同量の二力が衝突する時はともに無となって仕舞うが、曲線上で衝突する時は中々無になる場合は少い、又直線的で反対の力が互に衝突する時は反射して走しる力の有様が曲線的に反対の力が来て互に撞着時よりおもしろくない。直線は一種直線ぎりだが、曲線はいろいろの度を無窮の多数に有している、有則曲線、無則曲線、実に人間には分らないほど色々の曲線がある。たとえば有則の曲線の場合でいおうか。ここに仮定した二点があるとして、二点を貫く曲線をブンマワシで書て見玉え、またそのブンマワシの心を動かして同くその二点を貫く曲線を書て見玉え、又そのブンマワシの心を動かして書て見玉え、有則の曲線が無数に書けるよ、実にその相互に異ったる状態を有せる曲線の即ち弧という奴の数は何箇あるか知れない。まして人間の指で書くような出鱈目の曲線は何千万状あるか知れるものではない。このくらい曲線という奴は洒落た奴だよ。だから二力が互に異りたる曲線的に来てぶつかる時は、又何千万様の変化を起すか知れないのサ。ここが即ちおもしろい所だ。ここから天地万物がメチャメチャに色々の形状をなしてあらわれて来るのだよ。さてその曲線という奴は無障碍の空間で試みに引のばして見玉え、必ず螺線となるには相違ないのサ。螺線にならなければ環をなすのだよ、環をなしてはつまらないのサ。去年の道をまた今年もあるいているようなものだから、即ち変化生々の大法に反対している。ナニ環をなす気づかいはないのサ。地球の軌道は楕円の環をなしていると君達は思うだろうが大ちがいサ、実は月が地球のまわりを環をなしながら到底は大空間に有則螺線を描ていると同じ事に、地球も太陽に従ッて有則螺線を大空間に描いているのサ。即ち自転も螺旋サ。又一年の動きも螺旋サ。有則螺旋を浅薄な考えで見ると環に見えるのサ。イイカネ、いよいよむずかしくなッて来たから中々分るまい。マアしかしこのくらい分らなければ後は中々分らないよ。前からいッて来た通り活動の世界だからネ、どうしても螺旋的の運動に違いないのサ。畢竟は螺旋的だから運動が千殊万差の異様をなして長く続くのサ。ソコデ人間の世界に生れて来るのも単に螺旋的にヒョコリと出て来るのサ、そうして人間の意思動作もすべて螺旋的にぐるぐるまわッているのサ。社会の栄枯盛衰も螺旋的にぐるぐるまわッているのだよ。易なんぞというものは感心な奴で、初爻と上爻とが首尾相呼んでぐるぐるとデングリカエシをやッて螺線を描いて六十四卦だけにコロガリころがッて実はまだいくらにでもコロガリ出すことが出来るのサ。ダカラ甘く天地を包含したようの事を示せるのサ。又人間の心をもイヤに西洋の奴らは直線的に解剖したがるから、呆れて物がいえない、馬鹿馬鹿しい折詰の酢子みたような心理学になるのサ。一切生活機能のあるもの、いい直して見れば力の行われているものを直線的にぐずぐず論ずるのが古来の大まちがいサ。アア螺旋法なるかななるかな。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170612#1497264105(法学と人)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170611#1497177475(文学と科学)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170610#1497090984(「天主一物を創造す、ことごとく力徳による、故に善悪相混じ美醜互に相交はる」)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170608#1496917929自発的対称性の破れ
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170607#1496831607(『西洋の没落 I』(シュペングラー著 中公クラシックス))
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170607#1496831610ガリレオ: 幾何学と論理学)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170607#1496831611ニュートン幾何学の手法によって力学の基本法則やそこから導かれる定理を説明した。)

田中角栄総理、「辞任声明」に示した平常心…週刊朝日6/24号から - 文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization on September 2016

「心耳を澄ます」の中の「心」は、金権批判と国政混乱の責任をとって辞任を決めた田中を「惜しい人物だ……」と語った安岡正篤氏が添削して入れている。

角栄級長は昼休みにクラス全員を集めて、『先生は親孝行だ。マツタケを実家に送りたいと言っているのでみんなで手分けして集めようではないか』 と提案したという。


たちまち五十人の生徒が裏山へ分け入ってマツタケの山が築かれたというわけだ。


ビックリした金井先生が、『いや、集めてくれたのはありがたいが、なんとしても多すぎる。どうやって家に送ったらいいかわからないよ』と言うと、角栄級長は憤然とした。


『何を言うんだ先生、どうしても全部送ってください。家で使えなければ近所、隣りに分けるだろうに』


一本とられた金井先生は、角栄少年の言う通りにマツタケを全部送った。その後、休暇で実家に帰った金井先生は驚いた。


確かにマツタケは家ではとても食べ切れなかったのだが、角栄が予想した通りに『隣り近所や知人におすそ分けをして大喜びされた』と先生の両親が言ったのである。

じじぃの「人の死にざま_529_田中・角栄」 - 老兵は黙って去りゆくのみ

 わが国の前途に想いをめぐらすとき、私は一夜、沛然(はいぜん)として大地を打つ豪雨に心耳を澄ます思いであります。

☆昭和21年、戦後初めての衆議院選に角栄さんが出たとき、私の村でこんな演説をしたのを聞きました。


「われわれ新潟県人は、夕陽が西の海に沈むところは見ても、朝日が東の海から出るのを見たことはない。私はあなたがたに約束する。太陽が東の海からのぼるのを、必ずあなたがたに見せてあげる、と」