上司からの「圧力」をリークした男が吼える!
— 現代ビジネス (@gendai_biz) 2017年6月18日
「伝説の裁判官」が実名告発!なぜ裁判官は政府に逆らえないのか? https://t.co/ApfrRgxlnd
「70年安保」の前々年、政府は、札幌市郊外の長沼町に自衛隊の「長沼ナイキ基地」の建設計画を公表。翌年には基地建設に必要な土地を確保するため、農林省が、同地域の保安林指定を解除し、伐採の許可を出している。これに対し、地元住民が、その執行停止を求めて行政訴訟を起こした。
この訴訟は、国と地元住民が、権利関係を争うという単純なものではなく、日本の防衛が関係していたうえ、背景には「ドミノ理論」に基づく米軍の極東戦略があった。
ひとつの国が共産化すれば、ドミノ倒しのように周辺諸国も共産化するという、一種の強迫観念から生まれた理論である。
非常にやっかいな訴訟であり、当時の札幌地裁の裁判官たちは、「来るぞ、来るぞ」といっては、日々緊張を高めていたという。
この裁判を担当したのが、札幌地裁民事1部の福島重雄裁判長(当時39歳)だった。
青法協の機関誌『篝火』の編集責任者を務めたこともあるアクティブメンバーであった。提訴から約1ヵ月後、福島が下した決定は、「憲法違反の疑いがある自衛隊のために、保安林を伐採するのは問題であり、保安林指定解除処分の執行を停止する」だった。
本来なら、決定を不服とする国側は、直ちに本訴を起こし、さらなる争いへと発展していくのだが、このケースは違っていた。
この決定が国側に告知されるまでの間、予想外の展開が起こった。札幌地裁のトップだった平賀健太所長が、決定内容を変更するよう、福島に「圧力」をかけたのだ。
ことの経緯はこうだ。
まずは、数度にわたり所長室に呼びだし、「君、慎重にね」と話しては、暗に再考を促した。
しかし、いっこうに福島が翻意する様子がないので、しびれを切らした平賀は、福島の官舎に宛て、直筆の「書簡」を届けている。
「大兄の人柄を信用した上での老婆心ですから、なにとぞ小生の意のあるところを素直にくみとって下さるようお願いいたします」と断ったうえで、こう書いていた。「裁判所も農林大臣の裁量によるこの判断を尊重すべきものである」。
命令とも受け取れる文面であった。
石田長官から「ブルーパージ」を引き継いだ第11代最高裁長官の矢口洪一は、1999年11月、「宮本判事補再任拒否事件」をきっかけに生まれた「全国裁判官懇話会」で講演をおこなった。
約30年という時間の経過が、両者の感情的対立を幾分か癒やしてくれたのだろう。一種の「和解講演」であった。
強烈な個性の持ち主の矢口は、しかしここでも、聞きようによっては「ブルーパージ」を正当化する発言をおこなっていた。
「国を保っておくことにおいて積極的な作用をなすものは、立法であり、行政でありまして、司法は積極的な助長行政をやるという性質のものではありません。これは当たり前のことです。
司法が勝手に走り出したら、それこそ大変なことになります。あくまで司法は、最小限のコントロール機関であるということになると思います」