戦後、東京は焼け野原で誰もが食べるのに精一杯、全部燃えてしまい、生活保守なんて事は考えず、対象だけを大事みんな一生懸命仕事に取り組んだ。後先のことなど考えずに。それで高度成長も遂げたし、著しく優れた業績が沢山出、サイエンスでもノーベル賞フィールズ賞級の仕事が林立する日本の隆盛に。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月15日
すべては自分自身の手を動かし、自分で実証してゆくしかないし、それで勝ち得たものは必ず自分を養ってくれる。それなしに、人の力とおみこしで人生の勝負どころを回避して、何かを失ってしまうと、足引っ張りとか権謀術数とか、精神に癌を病みかねない。完全燃焼を一番に考えるべきと若い人には薦める
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月16日
昔思ったのだけれど、物理系学科に行かないと物理できないと思ってる人が結構沢山いた。現実の東京大学理学部物理学科の教授陣からして、和田先生は医学部コバタカは化学科など数学物理化学医学いろんなところで仕事して、結果物理の先端の業績で教授招聘で、変な思い違い。誰でもいつでも勉強はできる
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月16日
昨日もよくあるようなモーツァルト神格化の話があったが、現実はそんなものではなくて、就職難や嫌がらせその他の中、不遇のうちに親が死んだり、とんでもない旅先の現実を生きながら音楽している。これは今現在生きている私達だって同じことで、観光絵葉書みたいな対岸の童話には意味が少ないと思う。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月16日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20061230#1167469783
よく「天才のやり方は再現性がない」って言うけど、そんなことない。観察してると、ほとんどの天才はライフワークとして小さいジャブや謎の小作品を大量産して、普通の人がやらない範囲まで実験と失敗して知見を貯めてる。アウトプットだけだと、謎思考でジャンプしてるように見えるだけ。
— 深津 貴之 (@fladdict) 2017年7月12日
自分自身で、深層強化学習してるだけなんですよね。
— よしろう@佳日そろばん教室 (@y_100hl) 2017年7月13日
AlphaGOみたく。
確かに「天才」と呼ばれる人にも努力家は多いけど、その「実験と失敗」の意味が他人には全く理解できない時に「天才」って呼ばれるような気がする。
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) 2017年7月13日
その意味ではやっぱ「再現性」はないかも。 https://t.co/2WTAMDMPMD
運良く、創作プロセスを詳細に観察し、詳しく話を聞く機会があったとしても、「私には見えないものが、この人には見えてる」と感じる瞬間がある。作品が完成してみると彼に見えていたものの正体か理解できる時もあるけど、結局同じことができる気は全くしない。
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) 2017年7月13日
精神の統一性に違いがある。
圧力がかかった状態で道を求めているかどうか。
それは志の高さの違いなのである。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170713#1499942123
「何事も1万時間(1日9時間で3年)」という基準は経験上もしっくりくる。
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) 2017年7月14日
大学時代に漫画描いてた時間がそれぐらい。おかげで2回留年したけど。
そのあと自動車会社のデザイナーやってる間にデザインスケッチで、もう1万時間ってところか。
ずいぶん自由に描けるようになったなーって感じたのは2万時間後ぐらいですね。
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) 2017年7月14日
フィクションであれ、デザインであれ、自分が見たかった景色、そして多くの人が「ああ、これが見たかったんだ」って思えるような何かを作れたら、最高だよね。
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) 2017年7月16日