日本人が世界のビジネス界から取り残されている理由 - 新・独学術 https://t.co/XHaEERgN7p
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2017年7月20日
世界のビジネスエリートが集う(とされている)ビジネススクール(MBA)でも、そこにいるほとんどの人は凡人です。
たとえば、MBA生であってもコンサルタントであっても投資銀行員であっても、そこで使っている分析ツールはほとんどがエクセルです。凡人には理解できないような複雑な計算や論理立てをしているのではなく、つまるところ小学生でも理解できる四則演算のレベルで仕事をしているわけです。
しかし、海外のプロフェッショナルと比べて、日本のビジネスパーソンが明らかに劣っている点があります。それは「学習量」です。知識のインプットと論理トレーニングの量において、海外のプロフェッショナルと日本のビジネスパーソンとでは大きな差があるのです。
ビジネススクールに通うと、一晩で100ページくらいの課題文を読み、超早口で英語をまくしたてるクラスメイトと討議し、10枚ほどのレポートにまとめるという作業を毎日毎日繰り返します。
ビジネススクールだけではありません。外資系のコンサルティング会社の多くでも同様に、毎日大量のインプットとアウトプットを繰り返しています。プロジェクトに入ると、まずは数日で関連書を10冊以上読みこなし、その後、仮説をもとに専門家や顧客にインタビューを行い、それを数十ページのスライドに落とすというルーティン(基本動作)を毎日重ねます。
とくにビジネススキルの核となる「知識」と「論理」については、磨き方も含めて、体系立って学ぶ機会がほとんどありません。
このような欧米と日本のビジネスパーソンとの意識の違いは、雇用環境の違いに起因しています。日本においては、いったん大企業に就職すれば手厚く雇用が保障されますが、欧米の場合は学び続けなければ(そしてパフォーマンスを出し続けなければ)、すぐに解雇されてしまいます。
そのため、MBAにおいても、その後の就職先においても、ビジネスパーソンはよりよい職と地位を求めて必死で知識量を増やし、論理力を磨こうとします。
一方で日本では「学校での勉強は役に立たない」という考え方が支配的です。日本では新卒の就職活動において、学校名は問われても、何を学んだかが重視されることはあまりありません。
昔、海外の友人が「日本の財務省や銀行は、なんで経済学の専門家を雇わないで法学部出身者を重用するの?」といぶかしんでいましたが、これも極論すれば、日本では学生時代に身につけた知識なんて現場では役に立たない、と考える人事部が多かったためだと思われます。
つまり、日本は学んだ履歴に基づく学歴社会なのではなく、大学入試時のスコアでその後が決まる偏差値社会なのです。
逆に、世界のエリート教育はどんどん高学歴化しています。私の肌感覚からして「修士号を複数と、できればPh.D.(博士号)」くらいが、エリートビジネスパーソンの標準的な学歴となりつつあります。実際に、MBAでの同級生も結構な人数が博士課程に進みました。
たかだか数年の受験勉強(中学校から高校まで勉強したとしても5〜6年程度)に比べ、社会人人生は30年以上続くため、「社会人になってからどのような知識とスキルを身につけるのか」でその後の人生に大きな差が出てきます。
仕事柄、数多くの経営者やさまざまな分野のプロフェッショナルにお会いしてきましたが、日本、世界を問わず、「知識」と「論理」の研鑽において社会人になってから努力していない方にお目にかかったことはほとんどありません。