朗読の現状は文章を読み上げる伝達である。コトバは生きものだ。とくに文学のコトバは作品を語る「語り手」の声として生きている。もしも読み手が作品より上に立つならば「語り手」を殺すとともに作品を殺すのだ。そうして表に出てきた読み手の「キレイ」な声の背後には「気どり」の響きが感じられる。 https://t.co/UAy9Yl9Bcj
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年11月22日
文学作品の文体は作者のものである。だが、作者が直接に作品世界を書くのではない。「語り手」を媒介にして作品を書くのだ。作品ごとに「語り手」と「語り口」がちがう。作者の方言で作品を朗読しても作品の真実さが増すわけではない。太宰治の作品すべてを青森の方言で読んだらおかしなものである。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年11月23日
カズオ・イシグロさんの英語はイギリス英語に近いと思うのだけど、それ以前に日系1世の舌足らずな訛りが耳について鈍臭く感じてしまう。2世のハンニャ・ヤナギハラが完全な都会的アメリカ英語を喋るのと対照的に。
— choloatier (@choloatier) 2017年11月23日