牛頭天王はスサノウの尊。日本の総鎮守
— 藤原直哉 (@naoyafujiwara) 2017年11月24日
津島神社が日本総社https://t.co/iUnPWwTP4N
尾張国海部郡門真庄津嶋社
牛頭天王は欽明天皇の御宇、海部郡中嶋に光を現す。これを見れば、柳竹に白幣あり。神託に、「我は素盞烏尊なり。この所にましまして、日本の総鎮守と成るべし」という。
左太彦宮(原注:今の弥五郎殿)
武内大臣と平定経の二座である。定経は地主の神である。後村上院正平元年七月十三日、夢相によって、堀田弥五郎正泰(原注:後に従五位下に叙され、左衛門佐に任ぜられる)が崇め奉ったので、人々は願主の名によって、弥五郎殿と呼んだ。
弥五郎殿社(やごろうでんしゃ)・・・津島神社境内 ( 歴史 ) - 古代史の道 - Yahoo!ブログ
津島神社の祠官は紀姓堀田氏である。境内には摂社として弥五郎殿社があり、祖神武内宿禰と大穴牟遅命を奉斎している。社伝によると、正平元年(1346)南朝方の忠臣堀田弥五郎正泰が創建したと伝えている。正泰は正平四年に河内四條畷において武家方と戦って戦死した。
系図によれば、京都の八坂神社の執行職を務めた俊全の子俊重が尾張津島天王の祀宮職の始めと記されている。そしてその子重遠が堀田阿波守を称して津島天皇祠官を務め、以後かれの子孫が祠官職を務めた。近世大名の堀田氏も紀姓を名乗り、津島神社祠宮堀田氏の一族といわれている。
堀田弥五郎正泰は安岡正篤先生の祖にあたられる。