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 ビジネスには原理原則があります。
 これは、決して小難しい理屈ではありません。「生命を大切にする」「環境を大切にする」「ウソをつかない」「高い品質を保証する」など、小学生にもわかる当たり前のことです。しかし、この当たり前のことを毀損したときにすべてが崩れる。自分たちの会社や仕事そのものが社会的に否定される。原理原則とは、そんな厳粛な存在なのです。


 ところが、それほど重要なものであるにもかかわらず、しばしばなおざりにされているのが現実です。粉飾決算、原材料偽装、過労死……。これら、日々報道される問題は、すべて原理原則を踏みにじった結果として生じたもの。そして、ときには、会社そのものを存亡の危機に陥れてしまうのです。


 なぜ、こうした問題が起きるのか?
 さまざまな議論があると思いますが、結局のところ、リーダーのあり方に帰結すると私は考えています。組織の意思決定の最後の砦はリーダーです。どんな事態が起きても、リーダーが原理原則を死守できるかどうか。これが、組織のありようを決定づけるからです。


 とはいえ、これは口で言うほどやさしいことではありません。
 なぜなら、ビジネスは常に相反する価値観の相克のもとにあるからです。
 たとえば、利益と品質。事業を健全に進めるためには、適正な利益を確保しなければなりません。だから、原価率をできるだけ下げて、利益を確保する不断の努力は必要不可欠です。その不断の努力があってこそ、異次元の製品・サービスを生み出すイノベーションは生まれるのです。


 ところが、経営状況が悪化したときなどには、こうした健全な努力を逸脱する誘引が働きます。品質を落としてでも原価率を下げることによって、利益を確保できるのではないか……。その気持ちは、わからないではありません。経営者にとって利益は重要な指標ですから、この数字が悪化するのが恐い。なんとか利益を出したいというのは、経営者に共通する切実な願いだからです。


 しかし、これが危ない。ビジネスとは、お客様に信頼されるからこそ成立するものですから、「高い品質が第一」と掲げているなら、これは絶対に外せない原理原則。それをなおざりにすることによって、お客様の満足よりも“不健全な利益”を優先する組織に変質していくでしょう。その結果、短期的には利益を得られても、お客様の信頼を徐々に失い、長期的に衰退していくほかなくなるのです。


 さらにエスカレートすれば、「ウソをつかない」という原理原則すらも逸脱しかねません。たとえば原材料偽装。お客様には高品質な原材料を使っているとウソをつきながら、安価で粗悪な原材料を使って利益を出そうとするわけです。ここまで来てしまえば、社会的制裁は避けられないでしょう。

 このような誤った判断をする背景には「恐怖心」があります。
 利益を出せなければ、資金繰りが悪くなる。株主から非難され、金融機関からも締め上げられるかもしれない。その「恐怖心」から逃れるために、原理原則を踏み外してしまう。いわば、小心者ゆえの間違いなのです。


 しかし、だからといって、小心者であることを非難するのは当たらない、と私は考えています。むしろ、中途半端な小心者だからこそ、このような間違いを犯してしまうのです。たしかに、利益が出せないのは重大な問題です。しかし、これは、正しい努力をすれば解決できる問題。一時は苦労を強いられるでしょうが、組織が健全でありさえすれば挽回可能な問題なのです。


 一方、原理原則を外れても、その瞬間に問題が顕在化するわけではありません。不謹慎な言い方ですが、たとえ原材料偽装をしても、世間にバレさえしなければ問題にはならない。だからこそ、利益が減ることを恐れる経営者は、ここに逃げ込もうとしてしまうのです。


 しかし、これが組織を不健全にします。
 社員たちは自分の仕事にプライドを失い、組織のモラールは地に落ちるでしょう。そして、経営状況を改善する正しい努力を放棄するに違いありません。会社が根底から腐り始めるのです。そして、不正が白日のもとにさらされた瞬間、すべては崩壊してしまうのです。


 これほど、恐ろしいことがあるでしょうか? 私には、こんな恐ろしいことをする度胸はとてもありません。小心者だからこそ、原理原則を外すことができない。その強い恐怖感が、ブリヂストンCEOとしての私を突き動かしていた大きな原動力だったのです。