英雄たちの選択・選「“日本”を生んだ戦い 新視点!壬申の乱」 - NHK
「倭国」と呼ばれた国が「日本」に変わるきっかけとなった壬申の乱。日本書紀では王位をめぐる争いとされているが、仔細にみると乱の背景に対外関係の難問が浮かび上がる。
乱がおきたのは古代史上最大の対外戦争・白村江の戦いの大敗北から9年後。天智天皇は唐と新羅の侵攻に備えて中央集権化を推し進めてきたが、やがて新羅が唐と対立、戦争が始まる。当初は半島情勢不介入を続けていたが、唐からの強い圧力の中で天智は息子の大友皇子に政権を任せ、唐寄りの考えを持つ百済の難民たちを抜てきする。豪族たちが反発する中、最有力後継者だった大海人皇子は天智から政権を受け継ぐよう求められるが…。
不破関(ふわのせき)は、古代東山道の関所の一つで、現在の岐阜県不破郡関ケ原町にあった。「不破の道」と呼ばれたこの地の東山道に、壬申の乱の翌年(673年)に関所として設置された。
東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関(後には逢坂関)とともに三関と呼ばれ、壬申の乱の後からおよそ100年の間、治安維持のため畿内と東国との間の通行を厳重に監視した。三関から東は東国または関東と呼ばれた。
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/09/28/200316
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20180414/1523702656(持統天皇)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20180311/1520766256(持統天皇 - Wikipedia)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20180307/1520419447(白村江の戦い - Wikipedia・壬申の乱 - Wikipedia)