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「かぶき的心情」とは何か

ご承知の通り、幕府はこのような「かぶき者」の気風の横行に手を焼いて、しばしば弾圧を行いました。こうした「上下関係を重んじ、徳を重んじ、武芸に精を出す」ような気風がどうして封建制度にそぐわないのかと言うと、彼らの発想の原点には「強烈な自意識・自己主張」があって、何かの拍子にそれが噴出して封建制度の序列・体系といったものを内部から破壊していく方向に働くという危惧があったからでした。戦国の世ならばそうした気質はプラスにも働らいたかも知れません。しかし、平時においては「強烈な自己主張は秩序の破壊につながる」と受け取られたのです。派手で異様な風俗が嫌われたというのは外見的な要素でして、江戸幕府はこのことをこそ真に恐れたのです。

封建制の主従関係というのは「一所懸命」という言葉からも分かるように、もともと主君が与えられた恩賞としての土地を守ることで、主君と契約関係を結ぶことでありました。ある意味ではドライなもので、恩賞としての土地を取られてしまえばもはや主従関係は成立しないのです。例えば、「織田信長明智光秀に対して丹波の領地を取り上げ、まだ敵の領地である鳥取を与える」、このことを光秀が主従契約の一方的な破棄だと受け取ったとしてもそれは不思議ではない、と思います。これが本来の「主従関係」なのです。


ところがこの主従関係のなかに「意地」や「一分」といった、主従関係とは本来は結びつかないはずの「かぶき的心情」が次第に入り込んでいきます。ひとつには、平時において「戦う機会を持たない武士たち」が武士たるアイデンティティを維持するためにこれは必要なことであったのかも知れません。


山本常朝の「葉隠」(享保元年:1716)には、「武士道とは死ぬことと見つけたり。二つの場(いずれかという場合)にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわって進むなり。」という有名な科白がありますが、この裏にも「かぶき的心情」が潜んでいるように感じられます。武士道の根源を「個人のアイデンティティ」に求めなければ、武士が平時に緊張を保ちつづけることは難しかったのでしょう。しかし、それはまた同時に、封建社会の秩序を内部崩壊させる要素をも孕んでいたのです。

こうした「かぶき的心情」が大きな社会問題になったのは、赤穂義士の討ち入り事件でした。大石内蔵助らの行動の裏には、武士の「一分」を守るという強烈な体面意識がひそんでいました。「四十七士の討ち入りは義挙か・暴挙か」、この問題で江戸幕府のなかだけでなく世間が揺れました。それは仇討ちという行為が「かぶき的心情」の所産であり、それが誰の目にも明らかであったのに、それを公に否定すれば封建制の精神的柱である「忠孝」が否定され、それを公に肯定すれば封建制度の「法秩序」が否定される、というジレンマがあったからです。


赤穂浪士の討ち入りとは「赤穂藩士によるアイデンティティの強烈な主張であり、自分たちの存在を世間に認知させようとした行為であった」、こう考えて初めて、赤穂義士たちのエネルギー・世間の賞賛と熱狂・そして幕府の困惑も理解されるでしょう。討ち入りから47年もたってから成立した「仮名手本忠臣蔵」では、こうしたどろどろした熱い要素は整理整頓されて、スッキリときれいな形で提示されています。だから「忠臣蔵」だけ見ていると、このことは十分読みきれないと思います。


赤穂義士の討ち入りを「御政道に対する反抗であった・封建制への批判であった」とする見方は後世の眼から見た読み方だと思います。

かぶき的心情と「世間・社会」

こう考えますと、例えば「寺子屋」(菅原伝授手習鑑)において、松王が我が子小太郎を若君菅秀才の身替わりに立てる行為も「かぶき的心情」から読むことが可能であるかも知れません。

あるいは「熊谷陣屋」(一谷嫩軍記)において、熊谷直実が我が子小次郎を敦盛の身替わりに殺す行為も義経が「若木の桜を守護せん者熊谷ならで他にはなし」と謎をかけたのを直実が受けたわけですが、これも藤の方へのご恩返しであると同時に、「義経が自分を見込んだからには、これに応えなければ俺の体面は果たされない」と直実が考えたと理解されます。


松王・直実がこう考えることが当時の江戸の人々には自然のことであったということが「かぶき的心情」において理解されれねばならないと思います。それは「松王が松王である」・「直実が直実である」ことの証(あかし)を自らたてようとする行為であった ・つまり「自己のアイデンティティー」を主張する行為であったということです。

ここでまず問題にしたいのは、「松王・直実は『自己のアイデンティティー』なるものを誰に対して・何に対して証明しようとしているのか」ということです。身替わりをしたということが世間にばれてしまっては意味がない訳ですから、松王・直実の行為は「世間一般」に向けての行為でないことは明らかです。やはり、これは「自分自身に対して、おのれの体面・義理を果たそうとする」という行為であると思われます。その行為における判断基準は自分にあるということです。これが「かぶき的心情」の根本です。


このことは大事なことなので十分に検討していきたいと思います。松王は「世間は自分を不人情だと言って責める」と言って嘆きますが、しかし松王の行為は世間に対する自分の主張・誇示ではありません。「世間は分かってくれなくても良い、俺は俺の信じる道を行く・これが俺だと言える道を行く」ということなのです。明らかに世間の目を意識はしているけれども、世間は松王の行為の対象ではありません。松王が世間に対して「そら見ろ、俺の忠義が分かったか」と叫んだ訳ではありません。ここが重要な点なのです。

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