[京都新聞]日文研・磯田氏「住民目線の明治維新史を」京都でシンポ https://t.co/cOcuKNkQfH
— 京都新聞 (@kyoto_np) 2018年1月8日
基調講演では、国際日本文化研究センターの磯田道史准教授が「蛤御門の変や、天皇が東京に去るなど大変な状況にもかかわらず、京都の人たちは立ち直った。住民目線の維新史が必要だ」と強調した。
磯田准教授や門川大作市長らによるパネル討論では、住民が出資し合って作られた番組小学校などの明治初期の取り組みが紹介された。女優の羽田美智子さんは「当時の人は、子どもが未来の宝物だと分かっていた」と、人材育成の先見性に感心していた。
渡辺謙演じる島津斉彬に「かっこよすぎ」の声続出!大河「西郷どん」第1話 | cinemacafe.net
今回の1話だがSNS上では渡辺さん演じる斉彬に大きな注目が集まっている。
【コラム】渡辺謙、島津斉彬を体現する眼光の鋭さ 大河ドラマ『西郷どん』第1回を振り返る#渡辺謙 #西郷どん
— リアルサウンド映画部 (@realsound_m) 2018年1月7日
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薩摩藩の世継ぎである島津斉彬、後に西郷3人目の妻となる岩山糸(子供時代・渡邉このみ)との出会いが、彼の運命を大きく変えていく。現代の鹿児島にも精神が根付く郷中教育は、度量ある西郷の基礎を作った。それに加えて、彼に火を付けたのが斉彬だ。幼い仲間を見捨てた小吉に、斉彬は「弱い者の身になれんやつはな、弱い者以下のクズだ!」と、役立たずの意味である薩摩言葉「やっせんぼ」と罵る。自身の立場に満足することなく、強さを追い求める斉彬の姿に小吉は惹かれていく。
小吉は、道の真ん中も歩けず、剣術も相撲もできない“弱い者”である女子・糸の気持ちになり、「同じ人間なっちょね」と相手の気持ちに寄り添ってみせた。斉彬の精神が小吉の中で息づき始めたことが垣間見えるシーンだ。西郷にはどっしり構えた姿のイメージがあるが、みなに愛された理由の一つでもある優しさはこの時から持ち合わせていたのだろう。
小吉は、恨みを持った他の町の少年から刀で肩口を切られ、二度と剣が振れなくなってしまう。いつか忠義を尽くしたいという夢と、二度と刀を持てなくなってしまったことを斉彬に伝える小吉。斉彬はまだ幼い彼に、「これからはか弱き者の声を聞き、民のために尽くせる者こそが真の強い侍となる。お前はそういう侍になればよい」と諦めず生きることを諭す。斉彬を演じる渡辺謙の力強い眼光が、小吉に希望を見出したのが伝わってくる印象的な一幕だった。
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明治維新の偉業と明治新政府への反逆という矛盾した行動をとった西郷の人気は、実は数々の暴虐や策謀の末に成立した明治新政府への国民の無言の反感によって成り立っているといってよいだろう。いわゆる「判官びいき」である。
幕末の日本は開国したものの、いかに外国勢力から自立するかが急務であった。それには国内戦争をせずに外国からの介入を防ぐことである。幕府はもちろん、勝海舟や坂本龍馬も、そのことに腐心していた。
ところが薩摩も長州も、国内の権力闘争に目を向けた。とくに西郷は「自藩意識」だけで行動していた。
西郷は、勝海舟から、幕府を解体して雄藩連合で平和裏に日本をまとめる必要がある、といわれて、はじめて日本を意識するようになったというが、それでも「自藩意識」を取り去ることができない。
西郷にとって薩摩藩は、幕府に代わる権力主体と考え続けたのである。そのためには、さまざまな謀略や恐喝、暴動計画を実行する。
平和的な政権移行として「大政奉還」が行われても、西郷は武力による政権奪取を放棄しなかった。国内戦争への道を追求したのである。
「大政奉還」後、京都を去った幕府軍を挑発することを目的として、江戸を騒擾化するために薩摩藩士らを送り込んだのも西郷である。
彼らは「薩摩御用盗(ごようとう)」と恐れられるテロ集団をつくり、江戸市中で強盗・殺人・強姦・放火とあらゆる犯罪を行った。大店を次々に襲って、家人らを殺害し、大金を強奪し軍用金とした。江戸城の二の丸にも放火している。江戸の薩摩藩邸を根城にして悪逆非道の限りをつくしたのである。
薩摩の暴虐はここにきわまれり、と怒った勘定奉行の小栗忠順(ただまさ)は、庄内藩を中心にした幕府軍を編成して薩摩藩邸を焼き討ちにした。この知らせを聞いた西郷は興奮して「これで戦端開けたり」と語ったという。
やはり薩摩の暴虐に憤った大坂の幕府軍が鳥羽・伏見に進攻したとき、西郷は桐野利秋に命じて、最初の砲撃を加えさせた。まったく無益な戊辰戦争を始めたのが、西郷であったといってよいだろう。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180105#1515149017
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