なぜ「歴史」を学ぶと未来を予測できるのか? - 知的戦闘力を高める 独学の技法 https://t.co/i13XkF9t7u
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2018年1月10日
一つ目は、「目の前で起きていることを正確に理解することができる」ということです。なぜそう言えるかというと、これからの世の中で起きることのほとんどは、過去の歴史の中で起きているからです。
もちろん、起きていることを表面的に捉えれば、現在の私たちが向き合っている世界は、これまでなかったものです。しかしそれを、内部で動いているメカニズムまで踏み込んで考察してみれば、ほとんどの事象について、同様のメカニズムが働いていた歴史的事件があったはずです。
二つ目は、「未来を予測する能力が高まる」ということです。なぜ、歴史を学ぶことで未来を予測する能力が高まるのか?ここでカギになってくるのが「弁証法」です。
弁証法とは、ある命題Aが提示された後、それを反証する命題Bが提示され、双方の軋轢を調停するかたちで、新しい命題Cが提示されるという動的な思考のプロセスを示す哲学用語です。
では、歴史と弁証法にはどのような関係があるのか。歴史は弁証法的に発展していく、と指摘したのは哲学者のヘーゲルでした。ヘーゲルによれば、歴史は、最初に提示された命題Aが、次に命題Bによって否定され、最終的にそれを統合するかたちで、命題Cに落ち着くことで発展してきました。
このとき、歴史は「らせん状」に発展します。らせん状に発展するというのはつまり、回転と発展が同時に起こるということです。発展しつつ、原点に回帰する。これが弁証法の考え方です。
具体的な例を出して考えてみましょう。たとえば教育システムがそうです。現在の日本では、同じ年齢の子どもたちが同じ学年に所属し、時間割ごとに同じ教科を学ぶという仕組みが採用されています。
小学校から高校までの12年間を、基本的にこの仕組みで過ごしてきた私たちにとっては、これ以外の教育システムなど考えられないと思いがちですが、実はこのような仕組みは、過去において長らく実施されてきた教育システムとは大きく異なるものです。
たとえばかつての寺子屋では、年齢のバラバラな子どもたちが一箇所に集まり、それぞれが個別に勉強をしながら、教師が勉強を支援するという仕組みが長らく続いていました。
現在の私たちからみれば奇異に映るかもしれませんが、歴史的にはこうした教育システムの方がずっと長く続いていたわけです。
さて、それでは今後の教育システムはどうなっていくでしょうか?恐らく、かつての寺子屋のような形態に再び戻っていくだろうと私は考えています。実際、学力世界一を誇るフィンランドの義務教育の仕組みは、すでにこのような「寺子屋型」スタイルになりつつあります。
また、世界中で利用者が急増しているWEB上の学校である「カーンアカデミー」もまた、そのような取り組みとして整理することができます。
カーンアカデミーを積極的に取り入れている学校では、これまでのように「学校で授業を受けて、家庭で補助的な学習をする」という関係性が逆転し、「授業は家庭でカーンアカデミーを視聴し、どうしてもわからないところは学校で先生に教えてもらう」という構造になっています。
当然のことながら、このような仕組みを採用すれば、学校ではそれぞれの子どもが、それぞれの苦手なところを先生に支援してもらいながら学習することになるわけです。
さて、このような教育システムの変遷を弁証法の枠組みで整理するとどうなるでしょうか? まず、中世から近代にかけての日本で採用されていた寺子屋型の教育システムが、テーゼ=命題Aとなります。
ところがこの仕組みは、明治政府の富国強兵政策に伴う国民皆教育の方針にはフィットしていません。効率が悪いからです。大量の生徒を集めて学習させるためには、工場のように教育を一律化してしまう方がいい。
そのためには戸籍に基づいて、ある年齢になったら画一的に同じ内容を教えるという仕組みが必要です。これは最初の教育システムに対する反論として、アンチテーゼ=命題Bとなります。
そして、現在世界中で起こっている教育革命は、再び「個別生徒の関心・進捗に合わせて、先生が教室で支援しながら学習を進める」という形態に回帰しつつあるわけですが、ここで注意しなければならないのは、この回帰が単なる「原点回帰」ではなく、デジタルの力を活用した「発展的原点回帰」だということです。
テーゼが提示され、それに対するアンチテーゼが提示された後、両者の争点を包含する新しい命題=ジンテーゼが提案されたわけです。
以前の寺子屋型教育システムは、どうしても効率性という点で問題がありました。現在、世界中で行われている新しい教育システムは、個人個人の進捗度合いや関心に応じた教育のきめ細やかさと、全体としての効率を両立するような仕組みとして提示されているわけです。
ここで「歴史を知っている」というのが重要なポイントになってきます。なぜかというと、歴史が弁証法的に「発展的原点回帰」を繰り返して進展していくというとき、歴史を知らなければ、どのような「原点」へと回帰していくのかがまったくわからないから、予測できないのです。
らせん状に「発展的原点回帰」を繰り返しながら変化していく社会において、どのような「原点」が復活してくるのかを予測できるようになる。これが歴史を学ぶことのとても大きな意味と言えます。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180110#1515581084
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171102#1509618688
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170619#1497869390