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欧州のエリート養成機関では18世紀以来、哲学は歴史と並んで、もっとも重要視されてきた学問でもあります。


 たとえば英国のエリートを多く輩出しているオックスフォード大学では、長いこと哲学と歴史が必修でした。現在、エリート政治家養成機関としてオックスフォードの看板学部となっているのは「PPE=哲学・政治・経済」です。


 日本の大学システムに慣れ親しんだ人からすると、なぜに「哲学と政治と経済」が同じ学部で学ばれるのかと奇異に思われるかもしれませんが、これはむしろ「世界の非常識」である日本の大学システムしか知らないからこそ感じることで、哲学を学ぶ機会をほとんど与えずにエリートを育成することはできない、それは「危険である」というのが特に欧州における考え方なのです。

 では、哲学を学ぶことにはどんな意味があるのか?一言でいえば、それは「自分で考える力を鍛える」ということです。この「考える」という言葉は本当に気安く使われる言葉なのですが、本当の意味で「考える」ということは、なまなかなことではありません。


 よく「一日中考えてみたんだけど……」などと言う人がいますが、とんでもないことで、こう言う人がやっているのは「考える」のではなく、単に「悩んでいる」だけです。


 これは拙著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』にも書いたことですが、現在、この「自分で考える力」は極めて重要な資質になりつつあります。なぜかというと、これまでに依拠してきた「外部の基準やモノサシ」がどんどん時代遅れになっているからです。

 もっとわかりやすく言えば、哲学というのは「疑いの技術」だとも言えます。哲学の歴史において、哲学者たちが向き合ってきた問いは基本的に二つしかありません。それは、(1)この世界はどのようにして成り立っているのか?(2)その世界の中で、私たちはどのようにして生きていくべきなのか?という問いです。


 そして、古代の中国、あるいはインド、あるいはギリシアからスタートした哲学の歴史は連綿と続くこれら二つの問いに対する答えの提案と、その後の時代に続く哲学者からの否定と代替案の提案によって成り立っています。


 哲学の提案には必ず大きな「否定」が含まれていなければなりません。物理の法則と同じで、なにか大きな「肯定」をするためには、何か大きな「否定」が必ずつきまとうのです。


 つまり、世の中で主流となっているものの考え方や価値観について、「本当にそうだろうか、違う考え方もあるのではないだろうか」と考えることが、「哲学する人」に求められる基本的態度だということになります。


 さらに付け加えれば、この「本当にそうだろうか」という批判的疑念の発端となる、微妙な違和感に自分で気づくこともまた、重要なコンピテンシーです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180112#1515754254


卒業後はロンドンPricewaterhouseCoopersで監査業務を行い、現在は東京の株式会社経営共創基盤でコンサル業務に従事している。

私はオックスフォード大学でPPE(Philosophy, Politics and Economics)を勉強したいと思い英国へ留学を決心した。そのきっかけとなったのは中学の時に川上あかねさんの『わたしのオックスフォード』という書籍を読んだ事である。小さい時から歴史や政治などに興味があったので、哲学、政治、経済という幅広い学問を同時に勉強できるPPEがあると知った時には、これこそが大学で勉強したい学科だとワクワクしたのを覚えている。


私は幼少期に父の仕事の関係で6年間イギリスに在住しており、小学校5年生の時に日本に帰国した。帰国後、日本の小学校に転入した時は、11才ながらかなりの「逆カルチャーショック」があり、苦労した。特に文系科目の授業でイギリスとの違いを感じ戸惑ったのを覚えている。例えば日本の歴史の授業では縄文時代から年号を覚えていく事を中心にするが、イギリスの小学校では、「何故戦争がはじまったのか」などを考えることが重視されていた。さらには歴史学者がどのようにして歴史を「形成」していくのかを理解するために、小学校の敷地内に昔住んでいた貴族の家族の調査をしたこともあった。そんな「イギリス式」の勉強が恋しかった中、PPEという学科があると知り、イギリスに戻りPPEを学んでみたいと意気込んだ。

PPEはオックスフォード大学のBalliol Collegeで1920年代に始まった学位である。それまで英国の官公庁志望者や政治家が主に勉強していたClassics(Greatsとも呼ばれ、ラテン・ギリシャ文学、歴史、哲学、考古学等を勉強する学位)をもっと現代化させなければいけないという動きから、Modern Greatsという通称で始まったとされている。

日本では「政治・経済学科」が存在するため、PPEを勉強したというと、「何故哲学が入っているのか」と質問をされることが多い。オックスフォードの考え方では、政治や経済の思想は元々哲学から始まったものなので、哲学がすべての原点であるとされている。余談だが、オックスフォードには「数学・哲学」という学科があり、理系の源泉は数学、文系の源泉は哲学なので、最も学問の中枢に近い学科だという話を聞いたことがある。

「PPEでは結局皆何も身に付かず、論理的にでたらめが言えるようになるだけである」、「結局PPE卒業生はコネだけで成功しているのでは」と、イギリスではオックスフォードPPEに対する批判も多い。これは「blagging(ごまかす)力」に通じる意見だが、私も共感できる。知り合いのPPEの卒業生と話しても、「オックスフォードのPPEで良かったことは何一つない」や「結局何が勉強できたのだろう」等の意見も多い。

まず、独学に近い勉強方法はかなり大変である。その中で自分で「考える」力、成し遂げる力、徹底的に議論する力が身に付く。特にPPEは3つの学問を勉強することによって全体感を持って物事を考えることが訓練される。これは学生のその後の人生において、必ず強みになっていると思う。哲学を中心に勉強したPPEの友人は「本質をとことんロジックで突き詰めて考える方法」や「多角的視点の養成」、「答えのない課題に対して考える力」等が卒業後の仕事や私生活で役立っていると話している。

私は卒業後ロンドンの会計事務所へ就職したが、考古学や物理学科を勉強してきた同期もおり、会社側も実用的な知識だけではなく、大学時代に好きな学問に打ち込めたかという事も重視しているようだ。


PPEも良くも悪くも実用的な知識を学生に教えるということは重視していない。それよりも、多様な議題に対してとことん考え学んでいって欲しいという意向が強い。これは、卒業後の仕事を意識しているビジネススクールロースクール等とは正反対である。PPEやオックスブリッジで文系科目を学ぶ意義とは学生一人一人が考え抜き議論をしながら、皆それぞれ違った「何か」を身に付けていくということなのかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171220#1513767500