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 自分自身が引き受ける、という当事者意識の有無です。

 当事者意識がないというのは、例えばコンビニエンスストアやファストフード店などで、バイトらしい若者とやり取りしていて、店のことも顧客のことも、何も考えていない対応に出くわすことがあります。

 せっかく学校で何か勉強してきたはずなのに、それが役立たない。

 さて、こういう絵に描いた餅タイプのお勉強は、残念ながら日本では明治以来、しっかり世の中に根づいてしまった感があります。


 日本は100年ほど前、9割以上の人間がつまるところお百姓ならびにその関連で仕事して飯を食っていました。


 生活のホンネはそこにあり、学校で習うものは、読み書きそろばん、最低限のもの以外は、米を作るのにもモノを売り歩くのにも、大して役に立たない。


 そんなことより、せっせと働いて銭稼いだ方が手堅い・・・といった「ホンネ」を、私は40年ほど昔の少年時代、母のサブワークを横から眺め、いろいろ実例を観察したことがあります。

 子供から、高校で習う教科の内容、三角関数電磁気学、日本史や世界史が社会生活をするうえで、あるいはお金を稼いでいくうえで、どのように役立つか説明してくれと言われて、親御さんは食卓で、生き生きと楽しそうに、それらの有用性を子供たちに説明できるか・・・。

 さて、翻って日本の大学生ですが、机の上の勉強と、世の中の実務が乖離してしまっています。


 それを埋める意味で「社会勉強」と称してアルバイトする。例えばコンビニに勤める、居酒屋で「チーフ」を任される・・・何でもいいのですが、初めて何事か、責任をもって、信頼されて業務の一端の手綱を預けられると、意気に感じてがんばったりする。


 人事採用において、そういう実務経験を見る側面が、短からざる戦後日本の、特に文系の就職考査で、ポイントとされてきた面があるかと思います。


 これの良い点は「当事者意識」をもって引き受けるという点にあります。それがなければお話にもならない。


 同時に、これの良くない点は、100年前の日本の農村と同じで、三角関数電磁気学もあまり関係ない。昨今、コンピューターが関わる場合がありますが、あまり本質的なイノベーションとは結びつかない。つまるところ、浅くて、小さい。


 そういう隘路に、若者を導いてしまうように思うのです。バイトでできる社会勉強なんて、世間に出ればいくらでも経験せざるを得ないことです。

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