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 シリコンバレーの成長を支え「シリコンバレーを作った25人」の一人といわれる、レジス・マッケンナとの出会いは1990年代中ごろだった。


 彼の誘いで、彼のコンサルティング会社に入ったことがきっかけで、私は日本企業への新事業創造に関わるコンサルティングを始めることとなった。何度も一緒に日本に出張し、その時間を独り占めできたのはとても幸運なことだったと思う。


 レジスは70年代、シリコンバレーの黎明(れいめい)期に、米インテルや米アップルコンピューター(現アップル)にマーケティングを指南したことで知られる。


 アップル初の本格パソコン「Apple 2」が開発された当時、共同創業者のスティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックはそれぞれ21歳、25歳の血気盛んな若者だった。


 開発したウォズが技術的なスペックばかりを説明するので、レジスは「ユーザーにとってどのような価値があるのかを説明してくれ」と言うと、ウォズは怒って部屋を出ていってしまった。


 だが、そのときにジョブズは「待てよ、こういうユーザーとのコミュニケーションは大事かもしれない」と考え直し、マーケティング戦略をレジスと進めることになった。


 コンピューターがまだ“オタク”の趣味でしかなかった時代に、利用者への提供価値という観点でマーケティングの重要性を説き、ジョブズマーケティング能力をも開花させたのがレジスであったのだ。

 もちろん、生まれつきの感性や揺るぎない価値観によるところが大きいとは思うが、レジスと接してきた私には他にも感じる点が幾つかある。


 まず、レジスが高学歴ではないよそ者であったことだ。フィラデルフィアで地元の大学を卒業し、シリコンバレーに流れ着いた彼に失うものはなかった。


 学歴を利用して有名企業に入社する発想がなかったから、目の前にある面白い企業に就職し、シリコンバレーが産声を上げる時期の企業と関わった。その企業がたまたまインテルやアップルだったというわけだ。


 レジスと周りの友人たちは「建前」「会社の事情」「大人の賢さ」からは遠い価値観の人たちだった。従って、物事を真っさらな気持ちで見ることができたのだろう。


 また、物事を実行するときに必要な「大人の態度」を備えていた。例えば、批判的なジャーナリストにも丁寧に対応していた。


 多くの先進的なスタートアップにコンサルティングや投資をすることで、独り善がりの理論に流されることなく、実践的なアイデアを磨いていた。そのため、数多くの「世界初」を演出してきた。


 常にスタートアップの内側に入り、フロンティアに立つことによって、いち早く未来を「知る」ことができたのだと思う。彼にはなれずとも、その足跡から未来を知るすべは学べるはずだ。

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