三流リーダーは「計画」を現場に押し付け、二流は「計画」を死守し、一流は「○○」のために計画を使う。 - 優れたリーダーはみな小心者である。 https://t.co/XoNcFuNHYf
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2018年3月10日
中期経営計画と名付けられた仕組みは、数多くの企業で採用されていますが、私が見るところ、大きく2つの形に収れんされます。ひとつは、本社中枢が決めた計画を現場に割り振るもの。そして、もうひとつが、現場が立てた目標を積み上げたものです。しかし、この両者ともに「計画」としては機能しないと私は考えています。
前者はトップから現場への“押しつけ”にほかなりませんから、現場のオーナーシップは皆無。“やらされ感”だけが募るため、現場のモチベーションが上がらない。しかも、現場の実情を踏まえない「計画」になりがちですから、現場からは「OKY」(「お前が来てやれ」の略語。連載第13回参照)と思われるだけ。当然、結果もついてきません。
かといって、現場からの積み上げだけでも機能しません。現場の厳しさを知っているからこそ、現場は保守的になりがちだからです。その「保守的な計画=現状の延長線上にある計画」をいくら積み上げても、高い目標設定にはならない。しかも、現場は「部分最適」の発想をしますから、「全体最適」も損なわれる。それでは、組織全体として最高のパフォーマンスを実現することは不可能と言わざるをえないのです。
だから、私はブリヂストン・ヨーロッパの中期経営計画を概略次のような仕組みにしました。
出発点は、CEOである私がグループ全体の「あるべき姿」を示すことにあります。このときには、「3年間で黒字体質と成長体質をあわせもつグループを確立する」という「あるべき姿」を描き、それを各子会社のCEOに伝達しました。そのうえで、各子会社の置かれている現状を踏まえながら、それぞれが主体的に自社の「あるべき姿」を描き、それをもとに中期経営計画を策定。それを全部集めたうえで、ヨーロッパ本社で全体の整合性をチェック。必要であれば、オーナーシップをもつ各子会社のCEOとしっかりとコミュニケーションを取って、合意を得ながら整合性をとっていくわけです。
こうして、子会社ごとに各年度の投資計画・人員計画など具体的な施策を全て入れ、時系列で並べた中期経営計画を策定したうえで、最終的にはグループ全体で整合性のとれた連結計画に確定して、グループの幹部全員で共有。これを、毎年1年ずつ延長してローリングしていくことによって、「あるべき姿」に一歩一歩近づき達成するという仕組みです。この中期経営計画を勝手に変更することは、本社、各子会社ともに禁止。必要であれば、必ず協議し、お互いに納得したうえで変更を加えます。いわば、従来ありがちだった2つのタイプの中期経営計画のハイブリッド型とも言えるかもしれませんが、私は、本来あるべき当たり前の計画のつくり方をしているだけという認識でいます。
なぜなら、ここでやろうとしているのは、要するにリーダーが魅力的な「あるべき姿」を描き、それに共感するメンバーが、オーナーシップをもってそれぞれの仕事を進める、というリーダーシップの基本を大がかりな「仕組み」にしただけのことでもあるからです。
ただし、重要なのは「仕組み」ではありません。最も重要なのは、「仕組み」を動かすときの原理原則。それこそが、これまでの連載でお伝えしてきたリーダーシップの鉄則です。これを忘れたとき、この「仕組み」は命を失ってしまうからです。
ところが、CEO就任3年目となる2008年にリーマンショックが起こります。
それに伴い、タイヤの需要も大きく減少。社内外は騒然としました。そんななか、私のもとには「これだけのことが起きたのだから、中期経営計画はご破算ですよね?」という質問がたくさん寄せられました。
しかし、私は「もちろん、状況変化が起きたのだから修正は加えるが、基本的な骨組みは一切変える必要がない」と明言しました。
なぜなら、中期経営計画のゴールである「あるべき姿」は、リーマンショックが起こったから変わるような性質のものではないからです。たしかに、リーマンショックは大きな変化ではありますが、「経営環境は変わる」のは中期経営計画の前提条件。その「環境変化」に適応する必要はありますが、「あるべき姿」を変える必要はない。「環境変化」によってコロコロ変えるのならば、そもそもそれは「あるべき姿」ではなかったと言うべきです。
むしろ、私は、リーマンショックを「100年に一度の危機」とやたらと騒ぎ立てる風潮に違和感を感じていました。もちろん、足元の需要はドーンと落ちていますから、目先の業績は苦しくなるのは目に見えている。それは、たしかに危機です。しかし、目先の危機に気を取られるのではなく、危機の先に起こる「自社の危機」をこそ恐れなければならない。そして、その視点から現実を凝視したとき、リーマンショックは「千載一遇のチャンス」だったのです。
どういうことか?
国際競争力が低い工場を閉鎖することができず、稼働し続けなければならなかったのは、足元の需要に応えなければならないからです。ところが、リーマンショックで需要が大きく損なわれた。これは、工場を閉鎖する絶好のチャンスなのです。むしろ、このタイミングで閉鎖しなければ、大きなリスクを抱えることになる。なぜなら、リーマンショックから世界経済が立ち直って、タイヤの需要が元に戻れば、国際競争力が低い工場を閉鎖することができなくなり、再び稼働させなければならなくなるからです。
だから、私は、リーマショックが終わらないうちに工場閉鎖と新増設をやらなければという一種の焦りがありました。しかし、私の要請を待たずとも、現場のCEOから続々と計画前倒しの提案が寄せられたのです。