これを凡人が真似すれば、まとめきれず、肝心の規範の明示や事実の摘示すらできなくなるでしょう。理由付けや評価、応用論点は、時間内に書ける実力(筆力)のある人だけが、上位を狙うために書けばよい。普通の人は、まず基本論点の規範と事実を時間内に書けるようにすべきなのです。
— studyweb5 (@studyweb5) 2018年4月2日
みんなが勉強しないからこそ学力に格差が生まれ、勉強することで付加価値が生まれるんですよね。
— Takumi-Aikawa(法律英語勉強中) (@TA_legal32) 2018年4月1日
渋谷の伊藤塾の前の桜も華やかに咲きほこり見事に散っていきました。 「散る桜、残る桜も散る桜」これは良寛和尚によるものとされていますが、受け止め方は様々のようです。特攻隊員の遺書をイメージする人もいますし、命のはかなさを感じる人もいます。どうせ散ってしまうのだから頑張って咲き続けていても無駄だと考えるのか、同じように散るのであれば、美しく咲いていたいと考えるのか、とらえ方は人それぞれです。
誰もが生まれた瞬間から死に向かって歩み続けているのですから、命の意味や長さを問うことはむなしいようにも思えます。ですが逆に、だからこそ命の質を高めるという選択も可能です。今を大切にする、一瞬一瞬を懸命に生き抜くという選択は、あえて苦難の道を選んでいるようで、最近はあまり人気がないのかもしれません。ですが私はあえてそうした生き方を選択した人を尊敬しますし、そういう生き方をする人たちから学びたいと思っています。
最近、司法試験のガイダンスで言っていることがあります。予備試験合格者がなぜ就職において圧倒的に有利で、かつ実務における評価が極めて高いかについてです。合格率4%の試験に合格しているのだから当然でしょうという人がいますが、単に勉強ができるからという理由ではないと思っています。
もっと楽な道があるのに、あえて困難な試験に挑戦し苦難の道を選択した。そのこと自体に価値があると考えているからなのです。
困難な試験に合格したということは、このような困難に挑戦する気概があり、不安を克服し、結果が保証されない目標に向かって最大限の努力をすることができるということの公的な証明なのです。
オリンピックなどのスポーツの世界では、不利な状況から逆転して勝つ人がいます。その力の源はどこにあるのでしょうか。私は圧倒的な練習にあると思っています。誰よりも練習した、だから負けるはずがないという自信です。世界の誰よりも練習してきたという事実から、自分を信じる力が生まれてくるのです。勝ちたいなら誰よりも努力すること。それだけのことです。
圧倒的な強さは圧倒的な練習からしか生まれない。皆さんは圧倒的な勉強をしていますか。時間の問題ではありません。勉強の質であり、思いの問題です。
散る桜を見て何を思うかは人それぞれです。ですが、舞散る花びらという派手な見かけの裏ではちゃんと力強い命は続いているのです。散る桜に惑わされず、堂々とした佇まいや新緑から、明るい初夏への希望を感じるとることもできます。これから試験の本番を迎える人も、新しく勉強を始める人も、皆さんには楽しみながら圧倒的な勉強をしてほしいと願っています。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180401#1522579718
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