これたぶん誤解してる人多いんだけど、大学教員の能力の特性というのは膨大な知識を持ってることじゃなくて、膨大な知識を体系化し、必要な場面で取りだせる引き出しがあること。要するに大学教員から盗むべきは知識ではなくて、この知識をどうやって体系化して引き出しを作るかという技術。 https://t.co/xZSwsp5dfa
— おおが( o ̄▽)o<※ (@toruoga0916) 2018年5月4日
「考える」というのはどういう過程なんだろう。
— 吉田弘幸 (@y__hiroyuki) 2018年5月4日
例えば、文科省はどういう意味で「思考力」という言葉を使っているのかな?ただの宣伝文句かな。
僕が(さっきみたいに)積極的な意味で使うときは「論理的な判断の積み上げ」かな。
授業ではよく生徒に「物理の問題を解くときには自分で考えるな」と言う。この場合の「考える」は独自の理論を持ち込んだり、「思いつく」意味で使っている。
— 吉田弘幸 (@y__hiroyuki) 2018年5月4日
「頭で考える」は、無い頭で思いつきで考えること。
「地頭が良い人」はこれに含まれる。
「自分で考える」は、他人に惑わされずに考えること。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180503#1525343858(「形而上学は、純粋理性にもとづく哲学的認識が、体系的連関という形をとったものである」)