学習院−。
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2018年8月17日
主に華族の子弟が学ぶ教育機関として明治10年に創立された、宮内省直轄の官立学校だ。
乃木希典の院長就任により、学習院の空気は一変した。https://t.co/iiT76mv7wy pic.twitter.com/xcarjotKF2
この学習院の第10代院長に、明治天皇の意向で軍事参議官の乃木希典(まれすけ)が就任したのは明治40年1月、裕仁親王が入学する1年前である。
明治天皇は詠んだ。
いさをある 人を をしえの親にして
おほしたてなむ やまとなでしこ
ところで当時の学習院初等学科1学年は、東西2学級編成である。新入生となった裕仁親王は同学年の華頂宮(かちょうのみや)博忠王、久邇宮(くにのみや)邦久王とともに西組に所属した(※3)。クラスメートは12人。「華族以上ノ子弟ニシテ品行方正且家庭ノ正シキ者」から選ばれた。
一方、乃木が直接授業を行うことはない。乃木の役目は、日々時々に発する訓示だ。その言葉の一つ一つが、裕仁親王に大きな影響を与えることになる−−。