桑田真澄が語る『野球道』。なぜ“悪しき指導者”が生まれるのか... https://t.co/MsBM0f2LlE #FNN #マスターズインタビュー #野球 #高校野球 #スポーツ #甲子園
— Fuji News Network (@FNN_News) 2018年8月19日
「早稲田大学の初代野球部監督・飛田穂州がその人。『野球道』を説き、"一球入魂"や"千本ノック"という言葉の生みの親。飛田さんがどういう指導をしていたのか興味があり調べると、学生に罵声を浴びせたことはないらしい。千本ノックも体調によっては本数を変えていたという。
一番感動したのは"練習が終わったらさっさと帰りなさい"と学生を諭して、学生の本分である勉強や、友達と遊ぶ時間も大切で、野球だけの人間ではだめで、模範学生になるのが本当の野球選手だと説いていた」という。
「まさに桑田さんがPL学園で提案したことと似てますね」とタケが問うと?
「野球選手にとって勉強は天才や秀才でなくても良いんです。でもグラウンドでは諦めるな、努力しろ、助け合え、と教わる。その一方で、グランドを離れると野球選手の欠点は何もしないこと。
折角いいことを教わったのだから、授業にも食らいつかないといけないし、人生にも食らいついていくんです。失敗しても起き上って、目標に向かって挑戦していくのが本当の野球選手、スポーツマンなんですよ」
桑田さんは、日本の野球界の長所も短所も『野球道』という価値観が発端にあると考えるに至り、欠点だけを問題視するのではなく『野球道』の考え方を今の時代に合せて「再定義」しようと考えた。
『野球道』を最初に説いた飛田穂州は、新聞社の野球解説者に転じてからは「練習量の重視・精神の鍛練・絶対服従」を説き、早大監督時代の哲学とは異なる価値観で野球を論じた。
何故か?そこには「戦争」が忍び寄る時代背景があった。
飛田は「野球を守るため」に有用論を主張した。
戦後、野球を取り巻く環境は変わったはずなのに、復員した軍人が指導者となり長時間練習や体罰など、旧態依然とした悪しき伝統だけが残ってしまった。
「誤解された野球道」の価値観が現在の野球界にも浸透している。この是正が必要と説く桑田さん。
「指導者としてしばしば思うこと。それは、やらせるのは簡単だが、どう止めさせるかこれが難しいと思う。子どもたちに言うのは、私のチームは午前か午後のどちらかしか練習をしない。それ以外は勉強して遊びなさい、と。
そのバランスをとれないとチームにいる資格がないと教える。教え子の中には甲子園に出場する卒業生もいる。でも、それが凄いとは思わない。野球の経験が"あの時、鍛えられたから今がある"と思ってくれるだけでいい」という。
また、大学スポーツでの危険行為などについても桑田さんは言及した。
「スポーツに大事なのはフェアプレイ精神やスポーツマンシップ。本来、スポーツを通じて学ぶべきこと。そして、その競技を一筋に長くやっていれば、その精神を持って実践できる指導者が残ってないといけない。
ところがなぜか、日本は長くやればやるほど、スポーツマンシップなどがなくなっている。大学の運動部の問題だけではないと思う。野球でも指導者らしからぬ者はいる。
「分っていることが2つある。人は必ず死ぬということと、いつ死ぬか分らないということ。では、今何をすべきかと考えると、悩んだりひきこもっている場合ではない。
明日死んでも悔いがない人生を送りたい。そのために思ったことはどんどん行動する。恥かいても失敗しても良い。自分のやりたいことを挑戦していくのが生きている証。
失敗を恐れない。笑われても良い。失敗しても良い。自分の人生ですから。挑戦すべきです!」
西洋伝来のスポーツであるベースボールを、穂洲は日本発祥の武道に通じる「野球道」と捉え、試合よりも練習に取り組む姿勢を重要視し、学生野球は教育の一環であると説いた。また、試合でいかなる状況においても実力を発揮しうるために、練習では常に最善をつくすべしという「練習常善」の言葉を作り、過酷な猛練習の末に真の実力が備わると説いた。こうした考えの背景には早慶の台頭前に全盛期を誇っていた一高の存在(晴雨寒暑にかかわらず、あたかも修行のごとき厳しい練習をしていた)と、「知識は学問から、人格はスポーツから」と説いていた早大野球部長安部磯雄の影響が大きい。穂洲の評論は日本の野球指導者・ジャーナリストたちの間で長い間教本として扱われた。そのため、穂洲は日本の精神野球の源ともいえる。
穂洲は早大監督を辞任した後も新聞記者として自らの主張を訴え、また母校の後輩たちにことある毎に訓示を行ってきた。特に早慶戦前は選手たちを前にその歴史と心構えを長時間滔々と述べ、決戦の重みを訴え続けた。
彼の教えは、野球技術(プレーだけでなく選手の体格・力量、トレーニング理論なども)が進化した現代においては古い時代の精神論として軽視、ときには敵視される事が多い。しかし練習でできないことは試合ではできない、といった考えや目の前の一球の大切さを説く穂洲の主張は決して色あせてはおらず、プロからアマに至るあらゆる野球チームの中に息づいている。早大野球部においては石井連藏を経て孫弟子野村徹へと引き継がれている。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180818#1534589047
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180308#1520505607